前にも似たようなことを書いたのですけども。
西武鉄道というのがあります。池袋と新宿から所沢を経由し狭山・川越や飯能・秩父へ路線を伸ばしてます。有価証券報告書で名義を偽装する虚偽記載を行っていたことが発覚して上場廃止になり、みずほ銀行が経営陣を送り込みつつ外資系ファンドの出資を得て不採算のホテルを売却しながら再建をすすめていたのですが明日東証に再上場となりました。ただし35.45%を持つ外資のファンドは上場時の株の売り出し価格に不満があり持ち株を手放すことなくしばらく株主として君臨することになります。売り出し価格が不満ってのはファンドというのは第三者から出資を募り資金を運用しますからどこかでリターンを求めます。リターンは高ければ高いほど良いはずです。だから西武に投資した外資ファンドがいまの価格は不満だ、ってのは理解できなくはありません。
さて鉄道事業は社会にとって必要不可欠なインフラとしての役割があるので運賃は上限額が設定されており自由に値上げすることは不可能であり、かつ国土交通省の認可が必要で、利潤が無いわけではないのですがあまり儲かりません。儲からないので鉄道に乗ってもらうためにさまざまな施策をどこもうちます。阪急は歌劇団を経営し宝塚で興行を100年続けてますが、これは阪急宝塚線で梅田宝塚間を往復してもらうためです。阪神は甲子園でタイガースの試合を行うことでシーズン中は阪神本線の乗客数を増やしています。阪神同様西武もライオンズを持ち野球場を沿線に持つことでシーズン中は乗客数が増えます。でも収入が爆発的に増えるわけではありません。鉄道事業がそれほど儲からないので西武の大株主となってる外資のファンドは会社の価値を上げるために一部路線の廃止をちらつかせたことがありますが、(おそらく社会インフラとしての立場をわきまえてる)西武は当然応じませんでした。外資のファンドは株を高値で売れればそれで終わりなのでそんなこといえるのですが、このことがなにを意味するかといえばファンドというのは儲けること以外に考えることのできない社会と隔絶された無責任な存在である、ということであったりします。
「会社が誰のものか」といったとき、「会社は株主のもの」というのは株主が会社の経営を左右できる限り、あんまり間違っていません。しかし外資のファンドがある程度の株式を持ちながら世論が株主重視のファンドからの介入を許さなかったサッポロビールをみていると投資効率や経済合理性を優先するような「会社は株主だけのもの・株主だけが最大限利潤を得るような会社」というのは「それはちがうんじゃないの?」という空気・コンセンサスのようなものがこの国にはあるような気がしてます。もちろん実体があるわけでもないですからへたなことはいえません。ただあきらかに考え方の異なる儲けること以外に考えることのできない人がいるというのは改めて考えてみると厄介だよなあ、と思ったり。よくグローバル経済といいますがおそらくその結果がこういうことで、かといっていまさら鎖国には戻れないのですが。