戯言・正しいことを言う人について

村上ファンド阪神電鉄の株を買ったときは阪神を良くすることや株主価値の向上ということを言っていました。阪神電鉄は呼応して中長期的な株主価値向上策を打ちだし、村上ファンド側はタイガースの株式公開を含む短期的な株主向上策を阪神サイドに提案していました。で、阪神は特に(孝行息子であるタイガースの選手の報酬すら渋るような)鉄道事業へのこだわりが強い会社で、鉄道事業に理解があるかどうかわからぬファンドが経営権を握ることに社内外にかなりの感情的抵抗・反発があったはずです。ただ村上ファンド側にはどこか「正しく反論できない」部分を含んでいます。公開会社なんだから株主価値向上ってのは(安全への投資より配当にまわせと明言したわけではなかったので)それほど間違ってないはずですし阪神株取得の経緯も違法性はありません。ちゃんとしたルールにのっとってやったことですから、どこも悪くない。
でも、村上ファンドの何かがどこか変だ、って印象を私は最後までぬぐえませんでした。
たぶん村上氏が「自分が正しい」というスタンスを崩さなかったからでしょう。


なんというかどこか私個人は感覚的に「良くする」とか「正しい」ってのにどこかひっかかります。
ひとつは単純に「良くする」という言葉にトラウマがあるからかもしれません。なんというか、虫歯を治すとか注射のような「良くする」ということがえてして痛いことや恐怖と一緒だったせいかも。私にとってどこか痛いことは「良くする」という言葉と一緒にやってきたからっす。
また、あるていどの理屈を持った正しさをもってなにかを言われるとき、相手を納得させるだけの反論がひどく難しいってのがあります。で、その正しさに従わないほうが批難の対象になりやすい。それがちょっとしんどい。
そして「正しいこと」の薦めとして「嫌煙権ってのがあるからタバコをすうな」とか、「健康にいいから早寝早起き励行せよ」ってのは実際それはどこか正しい気がしますが、ものっそなんか息苦しいのです。ただその息苦しさの原因は私が「世間で言う正しさ」というモノサシで自分を見たとき必ずしも「世間で言う正しさ」から逸脱したところにいるからかな、と推測はつけてます。


正誤の問題って微妙で、なにか良くすることや世間で言うところの正しいことの指摘って決して悪いことじゃないと思います。


でもなんか「正しい」ことを声高に主張する人に対してどこか警戒心があります。
関係あるかどうかわかりませんが、対人関係で男女を問わず自分のことを善人ぶる人ほど自分が良い人であることをPRしたがる気がするのですが、たいていそういう人ってどこかひとりよがりなんすよ。それとどこかダブってるのかも。ほんと無根拠のきわめて皮膚感覚的なものっすけど。

(追記:自分もひとりよがりっぽいことをしかねないし、誰かに威圧感を与えてるとは思います。ここらへん自覚しないとまずそうっす)