今年一年どんな年だったか、というとちょっと経験したことのない、綱渡りというかピンチの一年でした。やらなければならない仕事、というのがけっこうあって(重いコンダーラを曳いて試練の道を進みたいと思ったことは一度もないものの)前に進めば進むほど肩の荷が重くなり、振り返らなきゃいいのに振り返ってうわーまだこれだけしかやってないのかとか青くなったり、そこに途中から兼務で代打としてやらなければならない仕事が増えたり(うち一つは年内になんとなくの解決をみたのですが)、あちこち頭を下げて協力をえたり同意を取り付けるよう交渉したり、事後に法的にクロにならないようにラインを決めてこれがあかんかったらもうどうにもならないと覚悟を決めて強気で事態の打開に向けて動いてるうちに、代打でやってたことは結果的には前にある程度進めたのですが、艱難汝を玉にすなんてのは私の場合はぜんぜん丸くなりませんでしたしおそらく嘘なんじゃないの?と思いました(べつのタマはおそらく丸いんすが、この場合そういう問題じゃない)。しんどかったのは事実ですが(仏教徒が聖書を参考にしていいのかどうかはわかりませんが)なんべんかここに書いてる「耐えられないほどの試練はなくて、むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道がある」というのを信じて、なるべく悲観しないようにしていました。もっともいちども悲観的にならなかったか、というとウソになります。悲観に陥らないよう、あちこち出かけたりもしてましたけども。


判らないことがあると不安になります。ですから判るところと判らないところをはっきりさせる必要があって、目の前の課題で判るところとわからないところを分解して、対策をたてなければならない・いったんたてた仮説を検証しなくちゃなんすけど、時間があまりないと難しかったりします。それが悲観になりかねいなし、逃げ腰になりかねない。
B'zのBLOWIN'という曲がありますが、そのなかに

「負けるのは恐くないちょっと逃げ腰になる日が来ることに怯えてるけど」

ってあるんすけどこの怯えってのはなんとなく判るのです。逃げ腰というのは目に見えるもので、周囲の士気にも影響しますし、そばにいる人間はその変化を微妙に見抜きます(観察眼が鋭いともいう)。そこからずるずると、築きあげたものが崩壊・崩落することがあります。人の目がある・ひとりではないというのはおそらくそういうことで、悲観して逃げ腰になるのが怖くてそうならないようにふるまってた側面があります。悲観に陥らないというあるべき姿と(悲観しなかったというとうそになるので)実際はちょっと相違がありますが、その相違もけっこうしんどかったりします。しんどいのですけど、それを無かったものにしてしまうのも変で、だからここでもいくらか書いちまってる気がします。文章と同じくえっちの時と同じで身体はウソをつかなくて、白髪もいくぶん増えちまい、シビアなときは体重もへっちまいました。来年どうなるかなんてわかりませんが、せめて体重だけはふやしときたいな、と思ってます。


書くってなんだろ・なにをかけばいいんだろ、なんてことも考えててまとまらず・判らずじまいのままきちまってます。私はあいまいだからそこらへん関係なく書いちまい、タマとかラストの予告とか財政や国債のことを書いちまうのですけど、そういうあいまいなというか、わけのわからない書き手を呆れずに、まずはここまで読んでいただいた皆様に感謝いたします。


ありがとうございました。