以前、わけあって安い懐中時計と高い懐中時計を交換したことがあって、ほぼ365日身につけて酷使してるので、たまに修理しています。止まっちまった時計を前に修理に出す前は「もうダメかな」って思うこともあってちょっと暗くなってなんすが、今日はセーフでした。上野で修理をしてもらったあとちょっと時間があって、鶯谷まで歩いてました。
上野の次の駅が鶯谷というところ。右側の崖が上野の山です。
鶯谷からほど近いところにあるのが根岸三平堂です。当代の林家正蔵師匠および林家三平師匠のお父さんの故・林家三平師匠の記念館です。「こうやったら笑って下さい(といいながら額にゲンコツをかざす)」というスタイルをこぶ平さん(当代の正蔵)がやっているのは知ってたのですが、先代のテレビの映像をみて衝撃をうけ、さらに「あ、こちらのお客さんの笑いが少ないですね、いいですか(といいながらそちらを向いて額にゲンコツをかざす)」という革命的な仕草をみて呆然としちまい、いったいどういう人なのか、もうちょっと知りたくなったのです。転職して落語家になるわけでもないので知っても仕方ないんすが。
木戸銭を払って階段をあがるとセンサーで感知して故・初代林家三平師匠が
「いまいらっしゃるんじゃないかとお噂をしてたところでした!」
と声をかけてくれます。展示スペースは広くはありません。高座がどういうものかの展示のほか、膨大な量の根多帳がありました。興味深く見学していたのですが、目を引いたのは扇子の裏をメモ代わりにしていて(だから扇子はたくさん持っていたらしい)当日高座で演じたであろう内容のメモがびっしりはいっていました。また
「なんで化粧をするの?」
「きれいになるためによ」
「なんでお化粧してるのにきれいじゃないの」
的な、意味深で意味深でないような、メモもけっこう残されてます(マクラでつかったのか)。口述のはなしというのはきわめて弱いコミュニケーションです。聞くぞ、という体制をとってもらわなきゃだめで、そこにいる人を武装解除させる必要性があります。武装解除というとへんですがえっちの前の前戯みたいなもので、緊張を取り払い、これからなんだか面白いことが起きそうだぞ、という期待を漂わせる必要があります。内容で笑わせることのできる落語家でありながら笑いの指図をするという「こうやったら笑ってくださいね(といってゲンコツをかざす)」仕草はなんだかばかばかしいのですが、そのばかばかしさが場を大いに緩ませたはずで、とても計算高い、とてもはなしの持って行き方が巧い人だったのかもしれません。はなし下手かたり下手なところがあるので、比較してそういうところが気になっちまったんすけども。
ちなみに帰るときはやはりセンサーが感知し
「なるべく帰らないようにお願いします!」
のあと
「お身体だけはお大事にお願いします!」
最近ちょっと不調気味でもしかしたら死期がちかいのかもですが、あの世から声をかけていただき、どうもすいません(額にゲンコツをかざしながら)
すぐそばにあるのが子規庵です。
空襲で焼けてていまあるのは戦後再築されたもの。写真がななめなのは、クラクション鳴らされてあわててたからです。子規は晩年をここで過ごしていて、絶句の中に出てくる糸瓜を吊るした棚も再現されています。文才のある人とそうでない己を比較してもしかたないんすが、同じ眺めをみてもひねろうと思ってもそう簡単には出てきません。鍛錬もしてないし、ないものねだりをしても仕方ないのですが、たまに俳句や短歌を詠む人の、短文のなかにあの濃密な世界を描き出す能力が欲しいと思うときがあります。あっても仕事にプラスになるわけでもなくなんの足しにもならないのですが。
その子規が贔屓にしてたらしいのが笹の雪という豆富料理の店です。豆腐ってこんなにおいしいものなのか、というのを思い知らされた店です。あんかけ豆富が有名なんすが、湯葉さしも美味いですここ。ただなんだろ、値段は高くないのですけどここでちゃんとしたものを喰うには私にはまだ身分不相応かもしれないと思ってて、もうちょっと渋い大人になったら贔屓にしたい店です。
ちなみに鶯谷はどんなところかというと
目立っちまうのが、ラブホテル街です。いや、目的地がここだったわけじゃないんすけども。