昨年立川談志師匠がなくなってからNHKで生前のドキュメントを放映してて、録画はしてあるのですがなかなかみることができませんでした。最近それをほんとに少しずつ消化してるのですが、印象深かったのが九州の独演会での「富久」に関しての一場面で、長屋の火事で行方不明になってた富くじがあたってることがわかった場面で主人公が悲嘆にくれる部分で笑い声がありました。手伝いに行って留守中に火事にあってるのでちょっと悲しい場面なのですが、さすがに談志師匠は「ここそんなに面白いとこ?」と思わず口にします。笑いの質が変化してることを生前談志師匠は指摘してるのですが、それをみてたら妙に説得力があって、思い当たることがないわけでもないのですけど人の失敗や不幸や悲劇というのを傍観者として面白がる・あざ笑う文化というのがなんとなくできちまってるのかもしれません。人の不幸って蜜の味なのかもっすが。
たしかに笑いの質の変化というのはなんとなく感じてて、人をコケにして笑うといのうは前は下品なことだった気がするんすが、でもなんだかテレビをつけるとそういうのが増えたなあという印象があります。コケにしたり失敗したりする構図をみると人によっては笑えるかもしれないんだけど、それを出すことは人間性の問題で、失敗が笑う要因になるというのは、テレビに限らずなにかが変わってきたのではないか、とやはり思えます。つか下品に対する上品ってのがなくなってるのかもなんすが(ブーメランで戻ってきそうですけども)。


さいきんこの「なにかが以前と変わったなあ」という空気をあちこちで感じるのですが、いまいちそれをなんとなくつかめなかったり。