赤めだかより

掛け算しかできない者に高等数学を教えても意味がないということに、僕は頭ではわかっていても身体が反応しない。教える側がいずれは通る道なのだから今のうちからと伝えることはお教えられる方には決して親切なこととは云いきれない、ということを僕は弟子を持ってみて感じた。混乱するだけなのだ。

立川談春「赤めだか」

立川談春師匠の書かれた「赤めだか」という本にひとに教えることについて書かれたところがあるんすが、似たような経験を教えてもらう側・教える側でもしたことがあります。不思議なものでというか私がとりあたまなだけかもしれませんがAについて教えた時にAだけにすればいのに親切かなあと考えてなんとなく付随したことを教えたくなる誘惑があり、やっちまったことがあります。情報がたくさんあると人はわりと混乱しやすい、ってのを混乱する姿をみて思い出したことがあります。混乱しないように要点を絞って人に教える、ってのは教えられるほうの力量を見極めたり誘惑に耐える忍耐が必要なんじゃないかと考えるんすが、なんとなく大変さがわかるので、教える人・教わる人を見てると時間がかかるとわかっても余裕のある時はついなんとなくつきあっちまうのです。通った道というか、私を育ててくれた人たちへの恩ってのはこういうふうに返すべきかなー、などと考えてるんすけども。こうかくと、40手前のおとなの書く文章になったかな。