等身大の子規

私は俳句とか短歌とかがよくわかっていない風流を解さない東男です。風流を解さない東男の上に無知なのでたまに俳句や短歌を眺めると面食らうことがあります。たとえば「初雷を恐るゝ妻や針仕事」ってのが子規の句にあります。しかし子規には奥さんがいないはずです。「妻子らとむつみかたらふ夢さめて砧うつ音旅にしありけり」ってのが子規の短歌にあるんすけどそれを踏まえると現実でなくても想像を写生していい、ってことなのかもしれません。これらの歌や句は夢見がちな妄想爆発の男という一面が垣間見え、なんだか等身大の子規を感じさせます。
23日付毎日東京版に(日経東京版も)「福引にキウス(急須)を得て発句に窮す」っていう前置きがあったうえで「新年や昔より窮す猶窮す」っていう子規の句が載った小冊子がみつかった、ってのがあって(俳句をさして理解してないくせして語ってしまうと)滑稽なところをみせた一面が垣間見えてつい熟読しちまったんすが、なんだか等身大の子規を感じさせて興味深いです。横浜でやっていた漱石展を見学したときに子規も漱石も学生のときににいたときは寄席通いをしてたことを紹介していたことを思い出し、そのときにシャレを含めた言葉遊びの影響を受けたのではないか、と思わないでもなかったり。云ってしまえばダジャレに近いのですが、それを思いつくだけの鋭さがあるわけで、ああ才能がある人だったのだなあと書いてしまえばあたりまえのことを改めて確認したんすが。