傘に関するお願い

祇園祭に保昌山ってのがあって好きな人から梅の枝を盗ってこいといわれて盗みに入った平井保昌の故事を基にした山があるのですが保昌山は別名花盗人山といいます。花を盗んだせいで後世にそんなふうに名を遺す事例もあるわけで、古来より「花盗人は罪にならない」ともよく云われますが、花であろうと傘であろうと盗まない方が良いと思われます。ちゃんとかくと花に財産的な価値があれば窃盗罪が成立する余地がありますし梅の花の枝を折れば器物損壊の余地があります。でもって「花盗人は罪にならない」といわれるようになった原因の一つはおそらく狂言の「花盗人」のせいかと思われます。花盗人が庭の桜の枝を盗もうとして捕まるものの、捕まった花盗人が悔いて古人が桜に惹かれた歌を引用しつつ自己弁護をし、庭の持ち主が感心して許します。フィクションとはいえ「そんな都合のいい話あるの?」と以前は考えていたのですが、考え方を改めたのが古今和歌集の撰者のひとりである紀貫之がかいたといわれる仮名序の一節

力をも入れずして天地を動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男女のなかをもやはらげ猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり

を知ってからです。歌というものに対して現代日本人とは異なる感覚があるとするなら歌で情状酌量を乞うて、乞われた方も許しても不思議はないな、と思うようになりましたって、短歌や狂言の話をしたいわけではなくて。

花盗人は許せるかもしれないものの、許せないのは傘盗人です。ほぼ毎回透明なビニール傘なのですがファミマなどで傘立てに入れていた傘が無くなっていた経験が何年かに一度のペースでありました。安物とはいえやられるとけっこう腹立たしいです。少し前の時は雨がひどいときだったので直後は「犯人を見つけたらただじゃおかねえ」などと本気で頭にきていました。ここで犯人を捕まえて、捕まえた犯人が傘に関して歌を詠んだので私は許した、とかなら美談になりますが、残念ながらそんなことはありません。

少し前にやられちまってそのことを不要不急の電話で愚痴ったことがあります。そしたらひと呼吸おいて「それってほんとに盗まれたの?」と電話口越しに冷静に指摘を受け、さらに「間違って持ってかれただけじゃないの?」とも追い討ちをかけられています。そういわれると直後に感じていた腹立たしさはおのれに降りかかってきました。つまるところ、持ってかれないようにしてなかったのは自分の責任でもあるわけで。なんか目印つけたら?とも助言を受けています。

考えた結果、貰って使うアテもなく持て余していた広島電鉄路面電車のマスキングテープを傘の柄の部分に貼っています。はてな今週のお題が「傘」なのですが、ファミマなどで

広島電鉄路面電車のマスキングテープが傘の柄に貼ってある現物を見かけたらそれは私のなので間違って持って行かないようによろしくお願い申し上げます。万一、傘盗人だったとしても傘にまつわる短歌を詠めば雅を解さぬ東男ですが情状酌量を考えますが、これから梅雨時で傘がないと困るのでできれば盗んでほしくないので盗まないでいただけると幸いです。