祇園祭見学2011

連休を使って京都・奈良にいました。
ぎりぎりまで行けるかどうかもわからなかったので新幹線の自由席で京都入りしました。
祇園祭は一昨年に一度見学してるので今回が二回目。行ってなにになるっていわれるとぐうの音も出ません。正直、頭をからっぽにする時間を作りたかった、ってのがひとつです。
宵山

16日は宵山でした。あちこちで山鉾を公開してます。写真は山伏山。町家の二階に飾ってあるのが御神体というかよりしろです。このよりしろを巡行の際には山にのせます。長刀鉾だけは子供をのせますがほかは人形などをのせます。
前にも書いたのですが、祇園祭というのはもともと疫病などで死を迎えた者の御霊による祟りを防ぐための、鎮魂のための祭礼です。で、祇園祭は一か月くらい続きます。そのメインイベントのひとつが宵山と山鉾風流、俗に言う山鉾巡行です。で、「霊を慰撫するための練り歩き」が、山鉾風流の主目的と思われますが、山鉾風流自体は雑巾がけというか清め役というか露払いで、ほんとは神事的には山鉾風流のあと、清浄になった街に八坂神社から神輿に神様を乗せて四条通まで持ってくる神輿渡御のほうが重要です。でも祇園祭というとなぜかどこの町も気合を入れる宵山と山鉾風流のほうが有名になっちまいました。


さて、山鉾ということばがありますが、いくつかの種類があります。
おおまかにわけて山と鉾です。山と鉾の違いは、

屋根の上などに鉾が立てられているものが鉾です。写真は月鉾。曳き手が数十人がかりでうごかします。

屋根の上やご神体の後ろに松が立てられているものが山です。これは北観音山。月鉾と同じく数十人で曳いてゆきます。で、例外がありますが高いところにまずどんな神様であれ宿るので鉾や松も高いところにあります。
でもって山でも数十人の曳き手が引っ張っていくまわるのが曳山といいまして、そうではなく↓のように担いでくものを舁山と言います。

写真は八幡山。松があるから、【山】です。
鉾もまた2種類あり曳山と同じく月鉾のように曳き手が引っ張っていく種類のものと、傘鉾といいまして大きな傘を持って歩く傘鉾タイプがあります。


で、いくつかの山では宵山のうちに聖護院から山伏が巡回します。いちばん縁が深いのが役行者山です。でもって前回同様、護摩供を見学。山伏問答を前回初めてちゃんと聞いて衝撃を受けたのですが今回も山伏問答からはじまって

門跡さんが祈願を読み上げて(今年は震災復興が入ってた)

護摩壇に点火されるとこんな感じに

興味がない人には全く興味がないかもなんすが、宵山の段階であると山や鉾に飾る懸装品を見学することができます。写真は役行者山の懸装品。

曳山も同じくで、懸装品が間近に見学できます。


もうひとつ、宵山で欠かせないのが屏風祭です。

山や鉾のある有力な商家が手持ちの屏風などを惜しげもなく見せる慣習があります。京都の商人の底力というか、どことなく京の着倒れ、というのが実感できます。見せびらかしはどこか下品ですが、そこにあるものがどれも立派なのでぜんぜん下品ではないのです。何軒か見て勉強させていただきました。


この日、京都で宿をとれなくて大阪のユースに宿泊したのですが、そこで韓国からの数人の旅行者の人と会話する機会がありました。で、英語でどこから来たのかとか今日はどこへ行ったのか、ってな話をした後に、この祇園祭の話をしたのですが、目の前で「すごいもん見てきた」にもかかわらず相手に伝わるように話せたか、ってのは怪しかったです。そもそも英語を使わない職場なので英語力がないのと、山鉾をfestival floatとかセンスのない訳をして通じるだろうかってのもあるんすが、なんだかすごくもどかしかったです。幸い興味を持ってくれたみたいで、ちょっとは役割を果たせたかもなんすが。

山鉾巡行・くじ改め】
さて、巡行の日です。

山鉾が通過する四条通では信号を人力で邪魔にならないように動かします。

山鉾はものによってはけっこうでかくて信号が邪魔だからです。でもって写真は長刀鉾。お稚児さんが乗り出してるのですが、わかりにくいかも。

前回と同様、四条堺町のくじ改め場所の反対側で一部見学してました。長刀鉾等、順番の決まってる鉾をのぞけば毎年山鉾の順番は7月のはじめにくじで決めておき、そのくじを堺町で必ずお偉いさんがあらためます。室町時代から続く行事でいまは京都市長が改め役を担います、ってさらって書きましたが、こんなことを500年以上続けてるんすから、なんだかこうお祭りが不死の生き物のように思えてきます。去年今年貫く棒のごときもの、っていう句がありますが、この町では祇園祭が棒で過去と今年を貫いてるわけっす。

で、奉行役の市長に、山鉾町の関係者がくじの入ってる箱を差し出す図
市長閣下がくじの順番を読み上げた後、

山鉾が通過します。

一部の山は回転してくれます。写真は保昌山(松がのってます)。

前掛けや胴掛けの刺繍の懸装品は円山応挙が下絵を書いてたりします。祇園祭がすごいのは、細部のひとつひとつがすごすぎて、まともに見てるとすごさがマヒしてくる点です。

赤いのは梅です。保昌山の保昌は平井保昌(藤原保昌)という人で、和泉式部に御所の梅を手折ってもってきて、ってわがままをいわれて、ほんとに御所に入って梅を手折り、でもって北面の武士に矢を放たれながらも逃げおおせ、和泉式部に贈った、というひとです。そういう由来なので明治時代より前は(藤原家に遠慮してか)花盗人山と云ってた時期もあったようで。なんで人って、わがままをいったりとかそのわがままに応じたりするんすかね。でもって何百年と経た今でも、そういうわがままって減ってそうにないっすが。人は変わらないという意味でも、過去といまって棒のようにつらぬかれてるのかもっすが。

印象的だったのが四条傘鉾。お囃子に合わせて子供たちが踊るのですが、身体をお囃子にあわせてると、なんとなく「面白いなあ」と思えてくるから不思議で吸い寄せられるように目が離せなかったです。日常の雑事を忘れてましたから、私のなかにも悪霊がいたのかもっすが。

お囃子のあとにくる傘鉾(ほんと傘のよう)。わりと古いかたちの鉾のようです。

【辻回し】
京都の中心部は4回同じ方向に曲がると元の場所に戻るようにできてます。つまるところ山鉾も同じ方向に4回曲がる必要があります。で、うち一回は御池通から新町通に曲がるのですが、10tくらいあるものを50人くらいで人力で動かしながらなので、そう簡単に90度まがることはできません。ですから少しずつ角度を曲げて曲がってゆきます。

竹を車輪に噛ませながら角度を変えるんすけど、けっこうかかります
ちなみに↑から↓この状態になるまで5分

さらにこの状態になるまで6分

新町通を南進!

新町通から四条通でも、やはり時間がかかってました

ただ眺めてると時間なんかどうでもよくなってくるから不思議っす。飽きることなく見学してました。そのあと

長刀鉾は無事左折に成功し、町会所に帰還しました(つまりそこまで見てました)。

長谷寺
ほんとノープランだったんすけど、最終日は奈良へ行こうと決めて近鉄でまず長谷寺

と思ったものの、目指す長谷寺は雲の中で

途中で台風接近のため雨が強めに降り出しちまい、勝手に軒先を借りて少しだけ雨宿り。こんなふうに雨宿りするのもなんだか久しぶりです。

長谷寺は西国巡礼の札所っていう側面もありますが、源氏物語(薫と浮舟がここにくる)その他いくつかの古典文学にも出てきます。出てくるところを見学しても研究者じゃないからあんまり意味はないのですが、それはともかく

清少納言の時代から続くあまりにも有名な399段の回廊をあがると

本堂に到着。ああこういうところなのかー、となんとなく理解しました。山の中の寺なんすが、かといって息苦しくないのです。でも開放的でないので、なんとなく隠れてる印象というか、こっそり衝立の隅で一息できる印象があります。
勤行のあと、下山してるときにオハヨウゴザイマス、と挨拶をすると会釈で済まされるかなあ、とおもってたら律儀にかえってきたのでちょっとびっくり。

【橿原考古研】
連続して通ってる橿原考古研博物館です。長谷寺のあとによりました

現在、去年発掘されたものの速報展をやってまして、それが目的です。巻向遺跡から出土した2700個強のももの種の一部も展示してありました。で、そのももの種をみてて、なぜかネズミに齧られたあとがあったりして、ネズミ返しのある建物などに祭祀用に置いてあったわけではないのかなあ、などと考えていました。いったい2700のももを何につかってたんだろ、とか考えてるうちに時間がけっこう経過してました。わたしにとってこの博物館は、時間を失う・引き寄せられるブラックホールです。
奈良公園
最後に立ち寄ったのが春日大社興福寺です。

2月にも来てるんすが、ここ4か月ほど頭抱えちまったりすることがおおくて、それでもなんとかきりぬけることができたので、そのお礼まいりを兼ねて、なんすが。

シカトされずにしっかり目があったシカに見送られて、東京に戻りました。


今回、あんまり深刻なことを考えずに動き回ってたのでなんだかとりとめない、まとまりのない文章になっちまいました。
東京に帰ってきたら帰ってきたでまためが回るような生活がはじまっちまってるんすけど、それでもそんなにしんどくないのは、やはり三日ほど肩の力を抜いた生活をしたからかもしれません。肩の力を抜くってのは、ひょっとしたら重要なのかもしれないっす。