江戸時代、三題噺といいまして、そこにいる人から適当に三つほどお題を貰いましてその三つをつかって即席で噺を作る、ということを落語の世界ではしてました。三題噺で忘れてはならないのは明治時代になって三遊亭円朝という人物が「芝浜(地名でいまの三田のあたり)」「財布」「酔漢(よいどれ)」というまったく関係のない言葉をつかって三題噺に挑み、いまでも口演されることの多い・「芝浜」というのが生まれたといわれてます。ただ口述の世界の悲しさで、別の人が作ったとかいろんな説があるのでほんとのところはわかりません。

芝浜という地名はいまは現存しません。都営地下鉄三田駅のそばに本芝公園というのがありまして、そのあたりが芝浜といわれてたらしかったり。明治期に海辺を埋め立てて線路を敷いたのでいまは跡形もありません。

すぐそばに雑魚場(ざこば)架道橋という名前がありまして、水路でどうも海とつながってたようで、ゆえに(鉄道の)架道橋。水路はいまは通路です。

でもって芝浜では日本橋とは別の雑魚を商う市がたち、近海の魚が揚がってました。そこで財布を拾っちまった(かもしれない)酒好きの魚屋の男の話が「芝浜」です。濡れ手に粟で大金が手にはいったらいいだろなーなんてことを考えたことがある人なら琴線に触れるかもしれない物語です。しめた!と思ってうちに帰っておカミさんに話して大酒を飲むのですが、次の日起きてみると
「夢でもみたんじゃないの?」
そんなことあるか、というのですが、しばらくすると「そうかもしれないな」とおもいはじめます。酒の席でべろんべろんに酔って、昨日のことを詳細に覚えてないことがある人なら、わからんでもない話です。酒癖の悪さを自覚して酒断ちを誓って、まじめに働きます。
商売が順調になった数年後の大晦日、「怒らないでおくれよ」と前置きしたうえで、おカミさんが大金の入った財布を出してきます。拾ったはずの財布です。財布はこっそりカミさんが長屋の大家さんに相談して、横領でお縄頂戴になったらまずい、ってんで「夢≒なかったこと」にしておき届け出て、だれも落とし主が現れずに戻ってきたので出したのです。この先は、落語や歌舞伎をご覧になっていただいたほうが良いかもしれません。芝浜を掛ける人によって、このおカミさんの造形がたぶんちがってきます。晩年の談志師匠はこのおカミさんにわたしもお金が欲しかったというニュアンスのことをいわせるのですが、賢いおカミさんとするひともいます。生きてる落語家さんだと林家たい平師匠がこの芝浜についてアレンジをしています。最近、伝統とか現代とかなんなんだろ、と思うことがあるんすが、いまでも語られる昔からの演目というのはどこかいまにも通じるところがあるはずです。それがなんなんだろ、というと答えがでないですがそれが犯罪と知りつつも芝浜だと落し物の財布をひろってよろこんで大酒かっくらってしまうような人の弱さとか、そこらへんなのかもっすが。道を外さぬように夢にしちまう賢さのうしろで目立ちませんが、人の弱さって、変に人を揺さぶったりしないでしょうかって、もしかしたらそんなことないかもっすが。


都営地下鉄三田駅前には三菱自工があります。

どやっ!と置いてあるのが三菱が世に問うたi-MiEV。軽自動車クラスのリチウム電池搭載の電気自動車で、補助金をつかえば200万を切ります。深夜充電して蓄電池がわりに昼間に家庭用電源として使用することも出来るようになったようで。ただ一回の充電で120キロ走行です。軽自動車仕様なのはもしかしたら近所に買い物へ出かけるような使い方を想定してるのかな、と。

家庭用電源でも充電できますし、充電スタンドが東京の場合三菱と日産の販売店や区や都の施設にあります。充電スタンドははじめて見たかも。つか、実物をみると地味にでも着実に技術って進んでるんだよなあ、と思わされます。自動車の運転をしないものの、妙にわくわくしてくるんすが。


三田の次が大門という駅です。

駅前に大門があって、それがそのまま駅名になりました。たぶん東京以外の人には何の大門だかわからない駅名かもで、芝の増上寺の大門です。いまさらどうしようもないのですが、もうちょっとなんとかならなかったのかな、と。

大門の奥にあるのが三解脱門。この奥が増上寺です。
東京タワーは去年の地震で実は先端部が曲がってたんすが、補修中。

この眺め、増上寺のわきの道からっす。うまく撮れなくて恐縮ですが、増上寺脇の桜並木の道はお気に入りで、上を通過する人から教えてもらったところっすが、いまの時期も緑深くて良いよなーと。コンタクトレンズがぽろってとれることが多くて怖くて自動車は諦めちまってるのですが、お気に入りの眺めをいくつかストックしてるのを知ると、自動車運転をできる人がちょっとうらやましかったり。