そば喰い

浅野内匠頭がなぜ吉良上野介に切りかかったか、ってのは諸説あるのですが、そのひとつに浅野家が担当した増上寺の畳替えの話があります。増上寺における勅使の休息場所の畳について吉良上野介は取り替える必要性については不要と浅野家にいっていたのだけど、勅使の饗応役を仰せつかっていたの浅野の家臣が別の大名の持ち場に行くとそこの畳はきれいに取り替えてあり、あわてて給金をはずんで職人を呼び寄せて浅野家の担当分も取り替えて面目を保ち、浅野内匠頭はそこらへんを含めて吉良上野介に対して頭にきたってことらしいのですが、最初はなぜ教えなかったのか、ってのが気になっていました。浅野家側が清廉潔白で賄賂を贈らなかったのでほんとのことを教えなかったとか諸説ありますが、けっこう強烈な印象を持ちました。で、大人になってみて、知識を持つ人というのはときとして知識を持たない人を軽く扱う・意地悪をする・小馬鹿にすることもある、というのを知ってしまうと、もしかしてこれかな、と思うようになりました。おそらく吉良上野介は決してフィクションではなくどこかにいるかもしれぬ「いかすけないイヤななおっさん(もちろんおっさんに限らないかもしれない)」であったのではないかと。そういう意味では忠臣蔵って身近で古びていない問題を抱えてるような気がしています、っててめえの見解はともかく。
内匠頭のように「いかすけないいやな人」を松の廊下で切り捨てることが叶わぬ場合、どうすればいいのかな、ってのは答えがでません。14日の討ち入りの前に義士がそばを食べたってのは真偽はともかくとして東京にはそういう話があって、そばを食べたところでなんとかなる根拠があるわけではないと知りつつも・斬り捨てるわけではないものの、わたしは「いかすけない人」のと相対しなければならないときはなるべくそばを喰うようにしてます(ただしいましばらく食べないほうが良い食材なので食べれないのですが)。真偽不明の古事にのっとったとても非科学的なことなのですが、人って非科学的なことをやってみたくなることってないですかね、ないかもですが。