元禄繚乱のこと

14日は赤穂浪士の討ち入りの日なのですが、忠臣蔵を知る前はそんなことは知りませんでした。いちばん最初に忠臣蔵にきちんと触れたのはいまから20年くらい前のNHK大河ドラマの「元禄繚乱」です。私はおろかなので「元禄繚乱」を視てからこの20年近く、忠臣蔵に関連して考えなくても良いことをずっと抱えています。

そのうち最大のものは、なぜ松の廊下の事件が起きたのか、似たような立場になったらどうするか、です。いかすけない奴とどうつきあうか、でもあります。浅野側があまり気が利かず吉良は浅野側にきつくあたり、元禄繚乱では結果いわれのないことをでっちあげられたり耐え難い屈辱を受け、ってことになってはいるのですが、考えてるうちにどうしても浅野側に同情的になってしまい「吉良ってやはりいかすけない奴なんだよな」「やなやつだからしょうがないよな」というところに最後は落ち着いてしまいます。いかすけないやなやつだから斬られてあたりまえっていう着地点を固持しても良いのですが、教えを乞うために頭を下げることは厭わないもののプライドも多少はあって気が利かないほうなのでそれだと私はいかすけないやつに相対して似たような場面に立ったら浅野内匠頭同様斬りつけてしまう可能性もあるわけで。そうするとできるかどうかは別として、逃げ場のない状況でいかすけない奴に意地悪されても理屈抜きで忍の一文字で耐えるしかないのかな、と。幸いなことに許せないほどいかすけない奴に遭遇せずに済んでますし事件を起こしたこともありませんし、そもそも殿様でもありません。でもどうするのが正解なんすかね。正解なんてあるかどうかもわからぬのですが。

ドラマを通して吉良上野介を観察して勉強になったこともあります。ここ20年以上吉良上野介を反面教師として「ああいうふうにならんとこ」とは思うようになっています。もうひとつ、吉良上野介のような人というのは決して少なくないことに気がついてはいます。知識のない人(もしくは知識のなさそうな人)に対して知識のある人は「ああこいつはこんなことも知らないのか」という態度をとりがちで、そのたびに「この人は吉良上野介だ」認定をしてリアルでもネットでも避けられるなら避けて、なるべく近づかないようにしています。でもなんで知識のある人は、知識のない人・知識がなさそうに見える人を下に見るような態度をとるのか、ずっと謎のままではあります。

正解とか謎とかは横に置いておくとして、はてな今週のお題が「もう一度見たいドラマ」で、討ち入りの日でもあるので咄嗟に思い浮かぶのは「元禄繚乱」です。東山紀之演じる浅野内匠頭は暗愚ではないけど融通の利かなさそうな堅さがでて、石坂浩二演じる吉良上野介は決して器の大きい人ではないことを感じさせる妙な老獪さがでて、なによりも先代の勘九郎演じる大石内蔵助は根は実直で決めたことを貫徹する執念もあるものの適度にチャラい色男を感じさせ…と脇を固めるキャストを含めて巧い役者ぞろいだったせいもあって飽きやすい私でも最後まで視聴し、いまでも強く印象に残っています。内容も知ってるのになぜもう一度見たいのか、と云われるときついのですが、たぶん私が「いかすけない奴は成敗されるべきである」という物語を読むのに惹かれてる子供っぽさが抜けないせいかもしれませんって書かないでもよいことを書いてる気が。