ケイタイの怖さ

公衆電話ってケイタイが普及してる成果なのだと思いますがほんと減ったなあ、と思います。特に電話ボックスを見かけなくなりました。PHSを買うまで(長電話になりがちな傾向があって、家の電話からはあまりかけるなという教育的指導があったので)電話ボックスからテレホンカードを握りしめよく電話をかけてた人間なのですが、秋から春にかけての寒いときはボックスのほうが寒さがいくらかやわらいで長電話するのは好都合でありがたかったです。
で、そんな長電話派の前に文明の利器が現れました。PHSやケイタイです。冬でも暖かい部屋から掛けられて便利で快適でした。ただ度数切れの警告音がないぶん公衆電話時代より長くなりがちになっちまい、最初の請求のときは想像以上の請求の明細をみて「うっわー控えめにしなきゃ」なんて思ったです。
公衆電話とケイタイの差は目の前に数字が刻まれることとそうでない状況の差でもあるんすけど、目の前に料金の数字が見えないことによる「お金を使っている」という感覚が麻痺する怖さをそのとき自覚しました。ケイタイの怖さを実感したわけっす。


怖さを自覚してるにもかかわらず便利だからか、のどもと過ぎればなんとやらで、ケイタイってわりとつかっちまいます。通話料・パケット代等でなんべんも「控えめにしなきゃー」という反省を繰り返しちまってます。そういう反省を減らしたいと思ってもなかなか減らせてません。付き合ってた相手がどこかで撮って送ってきた写メに律儀にこちらも撮った写メを送るようなことをしなければパケット代なんかは少しは減るかもなんすけど、そんな不要不急の通信を減らしたほうがいいとわかりつつ、なかなかできてません。料金プランを見直して対処するくらいしか電話代等を減らす手立てはないのですが、料金プランっていろいろ変化してたり結構複雑だったりで、試行錯誤してます。
ケイタイ代等を削減する上で一番いいのはケイタイをもたないことなんすけど、ちょっとそれはできそうになかったり。ケイタイってほんと怖いと思いながら、手放せないのは変なんすけど。