好奇心の結果

20代のころにそれほど好きでもない人とセックスをしてた時期、というのは長くはないですし、相手も多くはありません。けど、人数や回数の問題でなくそれらの行為をビッチと人は呼ぶんだろうな、と思います。で、いくらか強烈な転機になるような経験はやはりあります。


酒が入っててちょっとどうでも良くなってたときにホテルの適度に広い風呂に2人して入り遊んだあと(→意味の判らない良い子はスルーしてね?)ベッドへいったときに軽く拘束されたことがあります。で、ちょっと前まで、ラッシュという媚薬まがいのものがありました。正確には芳香剤だと思うんですが、吸引すると心臓がバクバクして興奮し、性感帯が敏感になるのです。媚薬に全く興味がなかったわけではないので、抵抗はあまりしませんでしたが拘束されてラッシュをかがされたことがあります。セックスのとき、自分が体感する快感のほかに、目で見える相手の反応がさらなる快感を呼ぶこともあると思います。自分が女性を抱いたときにそれがなんとなくわかってたので痴態を見せれば相手が興奮する、ということをうっすら把握してましたから痴態を見せることにさしてあまり抵抗はありませんでした。あまり感じてなくても嘘っぽい声を出すこともしましたし。で、その延長線上でラッシュをかがされてもさして抵抗しなかったのです。それと好奇心がなかったといえば嘘になります。


ところがやばかった。


媚薬という性質上あたりまえなんだと思うんですが頭もクリアにならず身体のコントロールがどこか利かないのです。たぶん肢体を狂うようによじらせていたはずです。で、その姿を面白そうな声で「淫乱だねえ」と評するのが聞こえ、どこかでプチンと何かが切れ、乗り気が失せてはやく終わらないかなー、と、照明を眺めながらどこか醒めて終わりを待った記憶があります。帰り道、自分の思いどうりにならなかったせいか、なんかえげつなく、きたなく、気持ち悪い行為をしてしまった感じがして、地下鉄に乗って帰ってからも浴室でキレイに丹念に身体を洗った記憶があります。唾液や吐息のにおいを消し去りたいとかでなく、そんなことをしても淫乱という声が頭の中から消えるわけではないのですが、洗い落としたい、という一念だった気がします。


淫乱なのかもしれません。このブログでもものすごく真面目なことを書いてますが、スケベでセックスが嫌いじゃないのがこのブログの書き手です。ただそういうふうに自分を納得させるまでには、そこに行き着くまでには、実は時間を要しました。自分はどこかキレイな人間でありたい、汚れてない人間でありたい、高潔な人間でありたい、というのがあったので、淫乱という蔑視の含みを持つ言葉にどこか敏感であったきがします。けど否定しても無駄。言葉で持って人は騙せても自分は騙せない。淫乱なんだと思う。本当は、自分が出会った人が悪いんじゃくてテメエが淫乱だったに過ぎない。淫乱じゃないなら、快感を求めてそんな気軽に人に身体を許したりしないでしょう。実際今でも、張り型とかは買わないけど、刹那的なときナニかが欲しいときはあったりします。誰でもいいから寝て欲しいと思うときがあります。それは虚しくなるだけだからって、判ってるから近寄らないだけ。
テメエが不幸せになるようになるように生きていたって仕方ないのに、テメエがテメエで危険に近づいていって痛い目をみて嘆いてんだからちゃんちゃらおかしい。ラッシュはたいした媚薬じゃないといわれたのに騙されたとか性欲を利用されたとか、自分以外のせいにする問題じゃない。きたなく、えげつない行為をしたくなかったら、自分で回避しなきゃいけない。他人を責めたり責任逃れを云って解決する問題じゃない。ようは、淫乱と思われたくないなら、そう思われない状況にしてみればいいんじゃないかと。性癖や性感帯とかを自覚して身体を元に戻せない以上は簡単に他人に身体を許さないようにすればいい、と思うようになりました。ずいぶん智恵すすみの遅い話かと思いますが。


以下、脈絡のあるようなないような話です。
もう閉じてしまったけどもネット上の知り合いの方が、同性愛者は何故簡単に身体を許してしまいがちなのか?というテーマで記事を書いていたのですが、私の場合は好奇心でした。で、穏やかで美しい恋愛の末にセックスをして処女や童貞を失って淫乱になったわけではなくて、自分の好奇心で危険に近寄って淫乱になったので自分の身体にどこか引け目があります。というか、どこか好奇心で身体を他人に許してたことが自分の中で汚点だった気がしてなりません。そのせいか、ありのままの私を愛して、みたいな比較的高飛車な恋愛における女性の発言が単純にすごいなーうらやましいなー、と思えるのです。絶対出来ない。好きな人が出来たときに異性であっても同性であっても媚びこそしないけど身体に関して今述べたような引け目があるので自分で出来る限りでどうやったら気に入られるか?ということを隠れて模索していました。もちろん自分の身体で虜にできればいいですが、テクニックに絶大の自信があるわけじゃないし世の中そんなに甘くはない。たぶんこの先、好きな人が出来ても必死に模索するでしょう。最近読んだはてなの匿名ダイアリーで、恋愛は努力が必須でそれが疲れた、みたいなエントリーがあり考え込んでしまったのですが、逆に努力の必要のない恋愛ってあるのでしょうか。
ちと想像出来なかったりします。