破綻した婚姻を認めるか否か

数日前にコメントのレスで離婚はしやすい、と書いたのですがこのままだと誤解を招きやすいのでフォローします。民法が定めるところの離婚というのは協議離婚(夫婦間で離婚に合意がまとまり役所に届け出することで成立する離婚)と、裁判離婚(法律によって定められた一定の事由があるときに離婚の訴えが認められ判決によって成立する離婚)というのがあります。ただし離婚についての裁判になる前に実際は調停を申し立てねばならずその調停で離婚が成立することもあります。

コメントのレスで離婚がしやすいと書いたのはこの協議離婚についての存在なのです。公的機関が絡むフランスの事例しか不勉強で知らないのですが離婚の合意があって届け出用紙一枚で済んでしまうというのはきわめて特異なシステムのようです(フランスは当事者同士で完結する協議離婚があり得ないはずです)。もっともこのことがアダをうむわけで、先日紹介があった札幌での重婚の事例のように勝手に離婚届を出しても役所は実質的審査権限というのがありませんから、役所は届け出を出されたら補正が必要な場合を除いて原則受け取る方向です。ほんまにええんですね?なんて訊かないはずです。で、実務では配偶者の片方が離婚の意思がないのに離婚届をだされてしまって離婚が成立するのを防ぐために「離婚届不受理申出」という制度を作ってまして、離婚の危機にあるときはこの届けを出しておくと当分の間は離婚届の提出を阻止できます。



で、裁判になると離婚を正当化する事由が必要になってきます。裁判になるとかならずしも離婚はしやすいかというとそうではなくなります。条文があります。

第770条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
1配偶者に不貞な行為があったとき。
2配偶者から悪意で遺棄されたとき。
3配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
4配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
5その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。


2項 裁判所は、前項第1号から第4号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

条文に幾つか事由が書いてあります。で、二項を見ていただきたいんですけど、離婚事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができるとあるんです。離婚したい気持ちはわかるけど、離婚は認めませんよ、ということもあります。
女冥利判決(東京地判S30・5・6下民集6巻5号896頁)というのがありまして、妻が夫の不貞行為を理由に離婚請求した事案でした。裁判所は有責である夫が過去の女性関係を清算し今後しないことを決意していて、妻は50を越え女性として本来の使命を終わり今後はいわば余生のようなも ので花咲く人生は期待できないのだから夫の婚姻継続の要望に応えないのは「女冥利」につきる仕儀であるとして、2項を適用して、離婚請求を棄却しています。昭和30年代の話ですから今はこんなことはないと思うのですが、しかし離婚裁判は裁判官の倫理観が影響してくる可能性はあります。
条文の1から4は具体的です。4なんかは高村光太郎智恵子抄を想起させますが、わが国では離婚事由になります。破綻した婚姻に健康な配偶者を縛り付けることが果たしてその配偶者にとって幸福か?という根拠ですが、人によってやはり意見が異なるかと思います。5はきわめて漠然としていますが、よく1から4までに当てはまらないときここを使います。例えば暴行や虐待、犯罪行為、性格の不一致、親族との不和なんかがそうです。夫婦のどちらかが宗教に熱心になって家庭を顧みなくなった事例(大阪高判H2・12・14判例時報1384号55頁)、夫が同性愛者になって他の男性に付きまとうようになった事例(名古屋地判S47・2・29判例時報670号77頁→なぜか不貞行為じゃないんですよね)なんてのもこちらです。

「婚姻を継続し難い重大な事由」とは夫婦の一方が他方の行動から婚姻を継続しがたいと考える場合と双方が婚姻の意義を失い結婚生活が破綻している場合の両方が考えられます。で、婚姻を継続しがたい重大な事由、と書かれてるんですが条文を素直に見る限りは離婚請求をしたものの有責性については何もないです。で、離婚請求にいたるまでの結婚生活を破綻に追い込んだ一方(有責配偶者と呼びます)からの離婚請求を認めていいのか?というのが議論になります。

夫が妻以外の女性と交際した結果、婚姻が破綻し、夫が離婚を求めて最高裁まで争ったケースが戦後ありました。
で、最高裁は以前は否定していました。
このケースでは有責配偶者からの離婚請求を棄却しています。

「婚姻関係を継続し難いのは上告人(夫)が妻たる被上告人を差し置いて他に情婦を有するからである。上告人さえ情婦との関係を解消し、よき夫として被上告人の元帰り来るならば、何時でも夫婦関係は円満に継続し得べきはずである。すなわち上告人の意思如何にかかることであって、かくの如きは未だもって前記法条(民法770条1項5号のこと)にいう婚姻を継続しがたい重大な事に該当するものということはできない。(略)結局勝手に情婦を持ち、そのため最早被上告人とは同棲できないから、これを追い出すということに帰着するのであって、もしかかる請求が是認されるのであれば、被告人は俗にいう踏んだり蹴ったりである。法はかくの如き不徳義勝手気儘を許すものではない」(最判S27・2・19民集6巻2号110頁)

いわゆる「踏んだり蹴ったり判決」といわれてます。責任がないほうが踏んだり蹴ったりになってはならない、という意味です。この判例は、長い間踏襲されてきてました。たぶん一番の理由は破綻を招いた責任のない配偶者の保護でしょう。また有責配偶者からの離婚請求を認めればおおまかにいえば信義誠実の原則に反してます。
有責配偶者は他方から離婚されても仕方がないという考え方というほうがしっくりくるでしょうか。落ち度のない配偶者側からの離婚請求は認めるが、有責配偶者側からの離婚請求は認めない指針は昭和62年に最高裁判例が変更されるまで裁判所の基本的な考え方でした。
しかし踏んだり蹴ったりという結果にならないようにするため「有責配偶者側からの離婚請求はダメ」という原則を厳格に適用した場合、婚姻生活が事実上破綻し修復不可能になった婚姻は戸籍だけ存続しつつ実態はそうではないといった不自然な状態になることになります。裁判でいくら請求が棄却されても、生身の人間に「ねえ、振り向いてよ」といったところでその意思がなかったら意味を成さないのと同じです。で、離婚を認めた方が個人の尊厳や幸福はより実現されるかも、との考え方もあって、最高裁は両方が有責の場合には有責性を比較して軽い配偶者から重い配偶者への離婚請求を認容したりと、修正はいくらかかかりました。しかし、こうなってくると今度はどちらがひどいかの暴露合戦になるわけで裁判の長期化へとつながってきました。

長い間堅持されてきた有責配偶者からの離婚を認めないという指針は昭和62年にひっくり返りました。
「有責配偶者側からの離婚請求は認めない」という原則を維持しつつ、「一定条件下では離婚請求を認容する」とするとしたのです。

結婚し婚姻届出をした夫Xと妻Yには子ができなかったので訴外Aの子二名を養子としたが夫婦仲はXが訴外Aと情交関係にあることをYが知ったことから悪くなり、その年からXは訴外Aと同棲し、二人の間には子が生まれ、Xは昭和26年頃、東京地裁にYに対して離婚訴訟を提起した。しかし請求棄却の判決を受け、それから30年経過した昭和59年、Xは再び離婚訴訟を提起したが、一、二審とも、同じく有責配偶者という理由で請求を棄却した

というものなんですが

「夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、その間に未成熟の子が存在しない場合には、相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、当該請求は有責配偶者からの請求であるとの一事をもって許されないものとすることはできないものと解するのが相当である。けだし、右のような場合には、もはや五号所定の事由に係る責任、相手方配偶者の離婚による精神的・社会的状態等は殊更に重視されるべきものでなく、また、相手方配偶者が離婚により被る経済的不利益は、本来、離婚と同時又は離婚後において請求することが認められている財産分与又は慰藉料により解決されるべきものであるからである。」
最大決S62・9・2民集41巻6号1423頁

つまるところこの大法廷判決は、有責配偶者からの離婚請求であっても、
1)夫婦が相当長期間の別居をなし、
2)二人の間に未成熟の子がなく、
3)離婚によって相手方配偶者が精神的、社会的、経済的に極めて苛酷な状態におかれるなど離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するというような特段の事情がない場合
は離婚請求が許される、としたわけです。離婚により被る経済的不利益は、財産分与又は慰藉料により解決されるべきである、という趣旨です。
これ以来夫婦関係が既に破綻している、などの理由で一方が離婚を望んでいなくても離婚を認める判決がでることがあるようになりました(現在は30年じゃなくても認められたりします)。
なお別居した夫婦の離婚を積極的に認めるようになったことを積極破綻主義への移行といったりもします。現在は離婚に関して言えば積極破綻主義であったりします。破綻してるなら、ということですね。

破綻した婚姻を残す必要があるか、という点で最高裁判例は現実的処理の方法として妥当かもしれません。
ただ、踏んだり蹴ったり判決が妥当かどうかにも関わりますが、自らが原因を作っておいて主張して法的利益を享受する、ということが良いことかどうか。金銭等の支払いにより慰撫されればいいというのは傾聴に値するのですが、うーんそれでほんとにいいのか?という考え方もあるとおもうのです。協議で決裂し(決裂したから裁判なんです)責のない配偶者が争いに巻き込まれて配偶者の地位を追われることが妥当かどうかという点は、私は引っかかりを覚えます。たとえ、それが形式的な配偶者の立場であったとしてもです。

そうはいってもねえ…と、コメントがきそうですが。


前置きはともかく(長い前置きでした←こらこら)、推定される嫡出子の問題にも微妙に関係するのですが、今まで述べてきたように離婚裁判等になれば先行きがわからず簡単にはいかず、長引く場合は確かにあるわけで、婚姻が実質破綻していながら離婚という法的効果が成立していない段階でも配偶者以外の異性と家庭を築きたい、というのは心情的に理解できないわけではないです。離婚が成立する前に懐胎した子供を新しいい夫の子として認めてよ、というのも心情的には理解できないわけではないです。
しかし繰り返しになりますが婚姻期間中に懐胎した場合はやはり原則その婚姻中の夫婦の子とすべきで、そうでないなら裁判で争うというのがベターだとおもうのです。身に覚えのない子なら嫡出否認の訴え、または子側からも起こせる親子関係不存在確認の訴えで嫡出性を否定すればいいとは思うのです。
公明党の議員さんは「再婚後に出産した子であり、前夫に異議がなくDNA鑑定で親子関係が確認された場合は、再婚相手の子としての届け出を認める」べき、とおっしゃるのですが、うーん、たとえ婚姻が破綻状態にあっても形式上は夫婦なわけでその状況下で配偶者以外の子を懐胎してそれを嫡出子として認めろってのは、やはり制度としての婚姻というものを考えるとどんなものかとおもうんですが。
破綻してたらやはりかまわないという考えなのかなあ。公明党は。


結婚というのを経験してないのと、するかどうかわからない人間なのでいまいち自信がなくなってきました。あんたなんかに何がわかるの!机上の空論だよ、と喝破されそうですが。
注:2022年に改正され2024年までに施行される予定ですが、再婚後について産まれた子については再婚相手の子となり、嫡出否認についても子や妻の側からも認められるようになります。条文をご確認ください。