サジェスチョンをした方が悪いわけではなくて、勝手に螺旋階段を落ちてしまった自分が悪いのですが塞いでいます。やはり回避させてください。かけないや。逃げなのかもですが。

「疲れた」って言われても、癒すこともできてたかどうかはわかりません。しかし、先方のマンションのそばのサミットで食材を買い料理して夕食を食べて過ごしたりとか、電気を消して常夜灯で酒を片手に話を聞くことはできましたし、電話一本で高速バスに乗って逢いに行ったこともあります。今それは今私の役目ではありません。その事実はやはり何度考えてもしんどかったりします。なんでしんどいかとか、しんどいからこそ書くべきかもなのですが、答えはたぶんひとつ、執着の度合いが私は高く、向こうは低くなってしまった、ということに起因してるのでしょう。思慕があっても、おもうほど返ってこないからしんどいのです。
執着を持続させるだけの、何かが途中から私には欠けてたのでしょう。
またそれがなにかが判るようで判らないから、しんどさが増したりします。