持っている能力を使わないのは罪か?

持っている能力を使わないのは罪、というロジック?が随分前から気になっています。最初意識したのは阪神電鉄株の問題の頃です。ご存知村上ファンド阪神株を買って、阪神は資産を有効に使ってない→だから株価が安い→私は阪神の株主価値向上の為にアイデアを持っている、といい、それが阪神タイガースの株式上場であったり阪神百貨店のビルの証券化であったりしました。村上ファンド阪神の前にもチャルメラ明星食品も買っていて(でその株がサッポロビールを買った米国のファンドが引き取って更に日清食品に引き取らせた)、明星食品に対して株主価値向上についての施策を要求し、例として都区内にある本社を売却して、といった提案をしていました。これらの行為は別に責められるべきのものでもなんともないのです。既に有る資産を全然有効に使ってない、という批判は納得する人もいて、実際阪神は資産の有効活用の一環として甲子園の改修工事をはじめたりはしていました。ただここであえて青臭い書生論をぶつと、会社にはそれぞれ目的があってその目的を実現することが社会にプラスになりえて会社の設立趣旨書に賛同して会社に幾許かの資金を提供した株主が報われるという順番がほんとは商法においてあるべき姿で、第一に株主価値向上!持ってる資産を有効活用しないのは罪!というのは微妙におかしいのではないかと思うのです。株主には株主提案権があって増配要求もできますから持っている能力を使わないのは罪ということを肯定はできなくはないけど、少なくとも錦の御旗にするのはどうか?と私はは思っていました。ただどうもそういう流れにはなっていない気がします。


ただ、持っている能力を使わないのは罪かどうかについて留保はあるとおもうのです。私は人間についてはあてはまらないとおもっていました。判断能力のある大人なら自分の生命、身体、財産に関して、他人に危害を及ぼさない限りたとえその決定が当人にとって不利益なことでも自己決定の権限をもつのではないかという大学のとき習った倫理学的原則が頭から離れなくて、これを根拠に私は愚行というか持っている能力を使わなくてもかまわないし自己の不利益を承知で飲酒喫煙や(家族がいなければ)見ず知らずの人とセックスとかも自分の問題以外発生しないだろう、と思ってました。
が、半年ぐらい前から人間にも、持ってる能力を使わないのは罪、ということを主張する人が居ることを知りました。
やはり、人間の場合も持ってる能力を使わないのは罪、なのでしょうか。私は愚かなのでなんで持っている能力を使わないことが罪なのか判らなく、どうも釈然としないです。一度訊いてみたいと思いつつ、その機会は訪れていませんが。