えっと、そろそろカウンタを取り付けてから一万ヒットになろうかというところです。
もし、一万を踏んだ方がいらっしゃったら、その幸福をこっそりとかみしめてください。その権利を贈呈いたします。


以下、仮定の話です。


数日で消します.
あー、削除はこのダイアリーの最大の特徴です。


その誰かは判らないものの、たぶんどこかのブログで自らの症状にについて書かれている記事をみて反応して記事をエントリされたものがあったとします。


一般論として自らのことをブログを書くということは一度自らを見直して観察して表に表出する行為と私は考えます。従いましてある程度普通の判断ができる人間であれば自らの置かれた状況に認識やらその対処法についておよそ既に検討してブログが書かれているものと考えるのが妥当だとおもいます。もしそれが無ければ、ブログなんて書いてる余裕などないでしょう。

で、第三者が病名の固有名詞を出してその可能性について言及するという行為も私は正直どんなものかとおもいます。もちろん書かれている方がその方面に詳しくて、当該ブログの記事中に書かれている症状でもってどういうことか想像できたとしても、誉められたことではないと思うのです。畑は違いますが刑事裁判の場合裁判官は何度か被告人と現実に相対して会話等を交わしたうえで証拠資料等をもとに被告人に責任能力があるか否か等の判断を下しますし、精神科医の多くはたぶん現実に目の前に患者がきてはじめて症状から病名のあてはめをするものとおもいます。もし仮にそのブロガーさんにお会いして、そこで確信をもって判断されるなら別論ですが、そうでないならば全く関係の無い第三者が見て予断を許すような記事をあげるのは如何なものかとおもうのですがどうでしょうか。固有名詞について挙げるのはもう少し慎重であるべきではないですか?たとえぼかしていたとしても。
私はそれがマナーだと、固く信じてここまで来たのですが。


私はそのような記事があったとしてもどうこういうだけのファイトが今ありません。どういう意図だか判らないからです。また、巧妙に特定を避けてらっしゃる可能性が高く、述べるほうが構造的に論拠をもたない批難に陥りやすいからです。故に仮定で話して、一般論を述べたつもりです。ただそういう記事があったりすると、なぜ直接本人におっしゃらないのか、記事をあげた方の心中が判らなかったりします(と、いいつつも私も、仮定の話ゆえその人にこのなんとなくの不快感を直接伝えようとしてないはずなんですが)。
閲覧した相手、言われた相手の感情に配慮もせず、自分の言いたい事を言ってスッキリすればそれでいいのか?というとそんなことは絶対ないはずです。少なくともそれはコミュニケーションではない気がします。それはリアルであってもネットであっても同じことだとおもうのです。


(後日記:このエントリを起すきっかけとなった記事は必ずしも誰かを特定してるわけでもなく悪意で書かれてるわけではないのです。ただ漠然とした印象だけが残るのです。しかし私にとってなんとなく不快でした。その不快の理由がいまいちわかりませんし説明できる自信がありません。判らないのに書くということはよくないことかもしれませんが。)