ブログは別として、自分の話をするのが好きな人がいます。例えば昨日はどこへ行っただとか、御本人以外にはたいして価値の無いだろう身のまわりの話を語る。
個人的にはどうしてそういうことを語りたがるのか判らなかったりします。私以外の世間はああいうふうに語るのがあたりまえなのだろうか、と30秒くらいよく考え込んじまうことがあって、けどこれといって仮説を立てるほど深くは思考してませんが、自分がこう思ったということを常に主張して無いと不安なのではとか、自分が興味を持ったものは他人も興味あるはずということから来る発言なのか、と思うようにしてます。よく言えば隠し事なしに自分に正直であり、悪く云えば自己ばかり考えてる人、といえるのですが。


私の場合は分水嶺はその人に興味があるか好きな人でなければで、そうでなければ自分語りを許容できないです。そうでない人が目の前で自分語りを始めたら、外観はともかく内心はブチ切れそうになることもあるとおもいます。結論はどこ?みたいな。
自らを振り返れば自己表現しすぎれば「あつかましい人間」だと思われそうで、自分のことを語るのを自制してます。上手く面白くいえないってのもありますけど。ある程度の数の社会人は、所属する組織や取引先で関係者の思惑やら利害にぶち当たることがあったりします。その場面で自分を主張するのはかえってマイナス事項たるときがあります。相手先、組織の意向との板挟みになって利害や思惑や自分の感情の調整に苦しむこともあります。駆け引きをとうして、とりあえずこちらの主張も入れながら良好な関係を維持するということをするために知恵を絞ることもあったりします。セーブになれてくると、どこか自説や自分の感情を露にすることが、イケナイことのように思えてくるわけです。


しかしそういったことと無縁で生きてる人も居るはずで、最近そのことに気がつき、そういう経験が無いからそっかだから相手がどう思うかより考える前にとりあえず自分のことを話したがるのかとか、相手が自分の話しに興味持っててくれると信じているけどほんとはそうじゃないから話がすれちがったり通じないことがあったりとかするのかとか、相手がどう思おうとも自制せずに云いたくなるのかとか、腑に落ちるようになったのですが。