小泉内閣の最後の法務大臣は、大谷派の敬虔な仏教徒の方でした。就任早々、死刑執行の書面に私は信念としてサインしない、と表明、のちに発言を微妙に撤回したものの、ついぞ任期中はサインしなかったようです。それがわからないのでもないのですが、ちょっとまてよ?という点がないでもないのです。刑の執行に法務大臣の署名が必要とされているのかについては、たぶん執行してしまえば取り返しがつかないから慎重さを求めたせいだと思うのですが、確定した裁判の記録を法務大臣が読み直した上で執行を命じたり命じなかったりすれば、法務大臣最高裁判所ほか裁判所より上位の機関として君臨することになる気がします。仏教徒として立派な判断だとおもうのですが、大臣独自の判断で執行しないということは、不作為であるし行政の長としてまずかったのではないかとおもいます。行政庁の司法権への介入みたいなふうに結果的になってしまいかねない。