死刑囚の死刑執行時の氏名公表

法務省は7日、1981-82年に神奈川県などで女子高生ら計5人を殺害したF死刑囚(47)=東京拘置所=ら3人の死刑を執行し、初めて氏名と執行場所を公表した。鳩山邦夫法相は同日の衆院法務委員会で公表理由について「適正に執行されていることを、被害者遺族や国民に理解してもらう必要がある」と答弁した。死刑執行は前回8月の3人執行からわずか3カ月半。国会開会中の執行は、長勢甚遠前法相当時の4月27日以来。鳩山法相の執行命令は初めてで、福田内閣での執行も初。死刑確定者は7日現在107人で、今回の執行で104人となった。年間の執行者数は9人となり、1976年以来最多となった。(略)

12月7日付神戸新聞より転載


いままでは死刑を執行しても執行された死刑囚の名前を公表はしませんでした(ただし死刑囚の遺族には知らせてたはずです)。
鳩山法相の「適正に執行されていることを、被害者遺族や国民に理解してもらう必要がある」という考え、とくに刑が適正に行われてるってことを知らしめるってのは必要かな、とは思います。ただ、考え方の差なんですけど、名前を出すことのデメリット、っていうのはあるのかな、と思います。というのは、これから先、裁判員制度がはじまりますけど、殺人や強盗殺人などかなり重いことがその対象になります。そこで裁判員は裁判官とともに被告人が有罪の場合、死刑か無期懲役かとか、量刑を判断しなければならないわけです。そこで刑の宣告に関わった裁判員が刑を決定してしばらくして刑の執行を知ったとき、つまるところ死刑やむなしっていう判断を下した名前も知ってる被告人が死刑囚になって刑を執行されたのを知ったとき、果たして動揺しないでいられるのかな?と思うのです。
考えすぎかもですけど、検事や裁判官、警官といった人たちはプロですから、自らが関与した事件で死刑が確定しても、その仕事をはじめた時点で覚悟はできてると思うのです。ただ、団藤重光という刑法を学ぶものは大抵その名前を知ってなきゃもぐりという高名な先生が実は最高裁判事だったときに(最高裁の判事の一部は法律を専攻する学者から任用されます)中部地方で起きた死刑になるかどうか微妙な案件で考え抜いた末に下級審での死刑について支持する判決を法廷で出したらすかさず傍聴席から「人殺し!」の罵声が裁判官に浴びせられて耳から離れなかった、ということを退官後懐述されてる文章を読んだことがあります。東大で教鞭を振るってた刑法の大家ですら悩み動揺しかねないのが死刑判決であったりします。


名前を公開することが悪いことだとはとても言えないのですけど、これが本格的に運用されるとなると、裁判員が関与した死刑判決を受けた者に対する執行の事実を報道で知ったら判断を下した裁判員は平気でいられるのかってのは、実は考えるべきことではないかな、と思うのです。相当なストレスになるのではないかと思うのです。また、目の前に居る「犯罪を犯したかもしれない者」が自分の判断でいつかは生命を絶たれ消えてしまうしその瞬間を知ってしまう可能性があるってことがわかったら、氏名を公表しなかったときと違って裁判員は正常な判断ができるんかな?ってことも考えておかないとまずいのではないか、とも思ったのですが。
や、もうちょっとで、裁判員制度ってはじまるんすけど。

実は裁判員制度って裁判員になった人は、すごくしんどいストレスに晒される可能性があるのではないか、と思うのです。その点、ほんとは氏名を公表しないほうがよかったのでは?と日が経つにつれおもうんすけど。