死刑執行の件数をめぐり、朝日新聞夕刊1面のコラム「素粒子」(18日)が、鳩山法相を「死に神」と表現した問題で、朝日新聞社に約1800件の抗議や意見が寄せられていたことが分かった。21日夕刊の素粒子では、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」などの抗議が千件を超えて寄せられたことを明かした上で、「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」と説明。「風刺コラムはつくづく難しいと思う」とし、「法相らを中傷する意図はまったくありません」「表現の方法や技量をもっと磨かねば」と、おわびとも取れる内容になっている。
朝日新聞社広報部は、抗議数を回答したが「(21日夕刊の素粒子などについて)特にコメントはありません」と話した。
6月22日付毎日jpより転載

朝日新聞って言うのは個人的に好きでないのでまず読みません。ですから素粒子っていうコラムを知りませんでした。記事を読むと茶化したり感想を述べるなりするだけのものなのかもしれませんけど。


大学へ行って法学部で耳にタコできるくらい言われるのが六法をひけ!ってなことでした。大阪府知事閣下となった橋下センセイが番組で六法をひく姿ってのを一度視聴しましたが、条文を確認するっていうことは、法を語ろうとするときは普通のことです。
刑法を開くと199条ほか殺人罪等の凶悪犯罪では最高刑として死刑に処すことがあることを、明記しています。で、刑事訴訟法を開けば刑事訴訟において真相を解明して相当な刑に処するための手続きが書いてあって、裁判所はそれにのっとって事件の諸事情を勘案して判決を言い渡します。さらに言うならば死刑判決が確定した死刑囚に対し、死刑執行をするのは、刑事訴訟法に基づいたものです。

第 四七五条 死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2、前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

ってあるんすよ。で、条文に基づいて原則論をいうならば死刑判決が出たあとその事件に再審等の請求がありそうだったりそうなったら判決がひっくり返る可能性があるかもって判断したとき以外はしかるべきときに執行の命令の文書に法務大臣としてサインしないとまずいのです。朝日のコラムを書いた記者の方の頭のレベルを存じませんが、六法をひいたらこれらのことは書いてあることです。鳩山法相は書類に目を通して職務に忠実に従ったに過ぎません。仮にそこで「俺、サインしたくない」なんてことになったら裁判所より鳩山法相が上ってことになっちまうのです。迷言の多い鳩山法相ですが、立法府にあれだけ長くいればそれくらいは弁えがあるはずです。朝日は鳩山法相が意思を持ってサインしないことを望んでるのでしょうか。と、するならこの国が法治国家であるっていうことを無視しています。法律に基づいた死刑執行を非難するその神経が正直理解できません。たぶん、およそ「死刑は良くない」という一点で思考停止してるのだと思います。先に批難があって、あとの理屈構成はどうでも良いのでしょう。そもそもいったい「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」とはなんなのか。繰り返しになりますがシステム上恣意的に法相が左右できる問題ではないのです。そう考えると一体、何を刺してるのでしょう。刑事訴訟のあり方を刺してるのでしょうか。意味不明なんすけど。
批判的精神っていうのは朝日の持ち味なんでしょうけど、ある価値観(死刑は廃止すべきという価値観)が優れてると思ったときに、たいして調べもせずにそれ以外の価値観が気にいらないからといってそれに従うシステムを叩くことは風刺でも批評でもなく正直、下品です。


死刑制度について書きはじめると長くなるので触れはしませんが、死刑制度の難点のひとつは罪を悔いてるところがない死刑囚がいたときにその死刑囚をそのまま絞首台に送ってしまうことで起こりうるかもしれない悔悟の機会も謝罪の機会も失ってしまうっていうところなんすけど、東京と埼玉の幼女連続殺人事件の犯人という「罪を悔いてるところがない死刑囚をそのまま絞首台に送ってしまった」あと故に、その点の議論が沸きあがるかなーなんて推測してたのですが、この一件で全て吹き飛んだ気がします。