鶏そぼろもしくは鶏そぼろ弁当問題

いつもくだらないことを書いていますがはてな今週のお題が「肉」で、それを奇貨として今日も輪をかけてくだらないことを書きます。

鶏ひき肉と醤油、砂糖、酒、みりんにほんの少しの片栗粉さえあればできるので鶏そぼろを個人的に作ることがあります。ただ鶏そぼろ弁当につきものの炒り卵は卵が苦手なので断固として作りません。鶏そぼろの素晴らしいところは温かくなくてもごはんのお供になるところです。なので駅弁などで鶏そぼろ系の弁当あったら有力な選択肢に入りますし、幕の内一択だと(って幕の内に罪はないのですが)悲しいです。(たとえば東京駅の鳥めしなどの)駅弁に入ってる炒り卵はどうしようもないので先にその部分だけ食べてお茶を飲み、口腔内をさっぱりさせたあとに残りの鶏そぼろ部分を堪能します。鶏そぼろ弁当に炒り卵は要らないのではないか、と鶏そぼろ好きとしては小声でしかし力強く訴えたいところですが、そこらへんは横に置いておくとして。

話はいつものように素っ飛びます。

前に経済系の週刊誌でモリゾウさん(トヨタの現社長)のことを追った連載があって、名駅で鶏そぼろの弁当を買おうとしたら鶏そぼろの弁当がなく、仕方ないので幕の内弁当を買った話がありました。鶏そぼろ弁当が欲しいのに幕の内弁当を買ったケースの場合に単にデータとして見た場合は幕の内弁当が売れたことになり、売るほうはこれからも幕の内弁当が売れると考えてしまうに違いないとモリゾウさんは気がつき

「けっして鶏そぼろ弁当が食えなかった恨みを述べてるわけではない」

と断ったうえで鶏そぼろ弁当と幕の内弁当の件を基に

「過去のデータをみて売れた車が顧客の欲する車と勘違いしているのではないか」

と社内で問題提起するに至ります。その後マルチメディア情報端末を作りその検索情報をトヨタはダイレクトに手に入れるのですがそれも横に置いておくとして、根っこにあるのは「過去のデータがほんとに市場の動きを捉えているとはかぎらない」という重大な話で、マーケティングとは無関係の部門にいるのですがかなり興味深く読んだのを、かつ、真面目な話なのに個人的には鶏そぼろ弁当に破壊力があって読みながら体を震わせそうになるのを・必死に笑いを堪えていたのを、今でも鮮明に覚えています。加えて、私以外にも鶏そぼろ好きが居るのか、と職種も業界も地位も違えど同志を見つけたような気になっていました。

鶏そぼろというのがいつできたのかは知らぬものの、鶏そぼろ好きとしてはなぜ鶏そぼろおよび鶏そぼろ弁当は天下をとれないのだろう?という点がずっと長年の疑問です。箸で食べるときに零れ落ちやすいからじゃね?といわれると確かにそうですが、ただしこれは少量の水溶き片栗粉を加えることで改善することができます。

もし名駅(に限らないのですがともかくあちこち)の駅弁屋さんにモリゾウさんのような分析をする人が居たら、つまり「鶏そぼろ弁当が売り切れてる状態で幕の内弁当がデータ上売れたからといって幕の内弁当をみんな欲してるとは限らない」と考える人が居てもっと鶏そぼろ弁当を増産して居たら、今より鶏そぼろや鶏そぼろ弁当がもっとメジャになったのではあるまいか…と鶏そぼろ好きとしては都合の良い夢想をついしちまうのですが。

花の名前(もしくは先入観のこと)

出勤時・退勤時に江戸時代にできた上水路の脇を通ります。その上水路にはヒガンバナが植わっています。ヒガンバナの根っこに毒があり、なので水路をネズミやモグラから守るの意味合いで植えられたと思われます。もちろん誰が植えたかはわかりません。そろそろ咲いていてもおかしくない時期ではあって、今年は彼岸を前に既に咲きはじめています。咲くこと自体は別に毎年のことなので驚きはしないのですけれど。

退勤時に、少し離れた街灯の下でしゃがんでるような人がいて「なにをしてるのだろう」と観察していたのですが、それから数秒も立たぬうちに、植わってるヒガンバナを手に歩きはじめていました。植わってるのは公有地で私の所有物でもなく、そもそもヒガンバナに財産的価値があるとは思えず、「こういう場合捕まえて注意するのも変だよな」とそのままにしています。花盗人は罪にならないという言葉を聞いたことはありますが、どうするのが正解だったのかはわかりません。

むしろ気になったのが「なんでヒガンバナを刈ってくの?」であったりします。

写真は以前三鷹で太陽が当たってるのを見たときに撮ったやつですが、陽が差し込むとたしかに目に留まります。が、シニンバナとかカジヤキバナともいって縁起でもない花の意識が強く、葉が無いので葉欠けという点から「ハッカケ」ともいうはずですがこれとて助六に「歯っ欠けジジイ」という言葉があるように縁起が良いとは思えませんし、供花にしたり花瓶に入れるにはどうも不適当な気がしてなりません。考えてるうちに「根っこから毒を作ろうとしてる可能性もあるから捕まえた方が良かったのかな」などと、変な方向へ思考が転がっています。

もっとも曼珠沙華という別名もあってその名で西武がコロナ禍以前は埼玉の日高の群生地をPRしてます。もしかしたら私が縁起でもない名前で覚えてしまった・毒を持ってることを知ってるがゆえに妙な先入観でヒガンバナを見てるだけかもしれないのですが。

花盗人というのを人生ではじめて目撃したせいか(ほんとにいるのか、とびっくりした)、妙にひっかかっちまいました。盗みの現場を目撃すると、目撃した方も時間を盗まれちまうことってあるのかも…って、そんなことないか。

次の波への不安

予防保守という考え方があります。定期的に検査やメンテナンスを行って不具合やトラブルが発生する前に対応して稼働不能の最悪な状態を防ぐ考え方です。いちばん判りやすいのが鉄道車両で、一定期間もしくは一定の距離を走行した電車を工場へ持って行きそこで台車や主電動機を含め検査やメンテナンスを行います。

トラブルが発生するかどうかが予測不可能な時というかトラブルがいつ起こるかを予測することは困難な状況下で、予防保守の考え方は「トラブルが発生するとは云い切れないのにトラブルが発生するものとして対処するのは時間と資金の無駄である」という批判が残念ながら形式的に成り立ちます。加えて、先が予測できぬ状況下でトラブルがなるべく起きぬように対策をとっておきそのあとで「トラブルは発生しなかったんじゃないの?」といわれると、とらなかった選択肢については確たることはいえませんから「その可能性はありますね」としか云いようがないです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

去春以降のコロナ渦の中で、映画館は(少なくとも私の知る松竹系やユナイテッドシネマは)市松模様のように一席ずつ座るようにするであるとか場合によってはビールの販売をしないなど専門家の意見をとりいれて感染対策をかなりとってきました(余談ですが歌舞伎に至っては「高麗屋」「音羽屋」などと大向こうが掛け声をかけることがNGです)。不具合やトラブルの回避とは微妙に違いますが「できうる対策をとって安全側に振って最悪になることを未然に防ぐ意図なのだな」と考えて、好意的にとらえていました。

さて、医者に対して疑義を述べる意図で閣僚が「少なくとも感染爆発時に映画館に出たとかどこかででたとか、話も聞きませんから」というようなフレーズを使いつつ更なる行動制限緩和を促す発言を14日にしています。

行動制限緩和は横に置いておくとして、先が予測できぬ状況下で最悪の事態がなるべく起きぬように専門家の意見を聴いたうえでの対策をとっておくことは最悪の結果を招かぬためには決して間違った事ではないはずです。実際、映画館ではクラスターが発生したという話は聞きません。しかし対策をとったから最悪の事態を免れたとは確実に云い切れるものではありません。が、専門家の意見を聴いたうえでの対策への疑義をあとであとだしジャンケンのように呈することは、とらなかった選択肢について確たることはいえませんから反論の余地を挟みにくい、すごくいやらしいものの云い方です。

と同時にその発想は「先が予測できぬ状況下で最悪の事態がなるべく起きぬように対策をとる」ことに対して疑義がなければでてこないはずです。でもって「先が予測できぬ状況下で最悪の事態がなるべく起きぬように対策をとる」ことが万人の理解を得るとは限らない(少なくとも政治家1人はそれに納得してない)、ということを改めて知って、危機感の共有とか危機対策って案外難しいのかもしれぬな、と書けば当たり前のことを改めて思っちまいました。

東京の新規感染者数は減少傾向にあるものの、次の波が来た時には出来うることならやはり先が予測できぬ状況下でも最悪の事態がなるべく起きぬように対策をとってほしいところなのですが、どうなっちゃうのかなあ、という気が。個人でできることはするつもりなのですが。

お茶を飲むときにでるむき出しの素

お茶の話を引っ張りながら今日も今日とてくだらない話を書きます。

夏目漱石の「坊ちゃん」に

実はゆうべ茶を買ってくれと頼んでおいたのだが、こんな苦い濃い茶はいやだ。一杯飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗に飲む奴だ。主人が引き下がってから、明日の下読をしてすぐ寝てしまった。

と書いてあるくだりがあります。

松山の赴任先の学校から下宿へ帰ってきてそこでの話で、骨董の話を持ち出されながら飲むお茶の描写です。おのれの舌のテキトーさを暴露するような話なのですが、いちばん最初に読んだ頃は苦いお茶はともかく「濃いお茶」という意味をちゃんとは分かっていませんでした。大人になって鹿児島へ行った際にかの地のお茶を飲んでコクを感じて衝撃を受けて以降、松山のある四国や鹿児島のある九州などの西日本と坊ちゃんが生まれ育った(ついでに書くと私もそうなのですが)煎茶が主流の東京とでは好まれるお茶に差があるのではないか?とうっすら思ってます。ただその疑問を大人になって口にすると「私はもの知らずです」と受け取られそうな気がしてならず、誰にも云ったことがありません。しかし匿名だからこんなふうに書けます。ビバ!インターネッツ!!…って、書きたかったのはそんな話ではなくて。

下宿先の主人は坊ちゃんが自分のために買ったお茶を遠慮なく無暗に飲んでてそれを坊ちゃん自身はちょっと苦々しく思っています。それどころかこの主人はお茶を飲みながら坊ちゃんが要らぬというものを次々と買わせようとしてて、読んでてもあまり良い印象を持ちません。お茶を飲みながらも関心がないものには全く関心がない坊ちゃんの姿も描かれています。数年前に読み直した時に考えてしまったくだらぬことがひとつだけあってそれは「お茶を飲むときにむき出しの素がでる」と見抜いてこれら描写してるのではあるまいか、と。

だとすると、お茶を飲んでるときの無防備な素のおのれのことが気になりました。さすがに他人のお茶を遠慮なく飲むことこそしませんが、これが「どうぞ」といわれて出されたお茶をたいてい礼を述べて最後に飲み干して「ごちそうさまでした」と改めて礼を述べてきたことが多いのですが、何も考えずに100%飲み干してきたのでどういう印象を持たれたろう?ってなことを考えちまっています。こういうの、正解がありそうでなさそうですし、過去のことはいまさらどうしようもないのですが。

今年になって読んだマンガに「やがて君になる」(仲谷鳰・電撃コミックNEXT)という作品があるのですが、その中でも「お茶を飲むときにむき出しの素がでる」ことを前提にした描写がありました(4話「まだ大気圏」)。七海先輩が自販機で紅茶を買い、つられて小糸さんも自販機で買おうとするのですが小銭が無く諦めます。そこで七海先輩が「飲む?」と小糸さんに渡し、小糸さんはありがとうございますと礼を述べて躊躇なく口をつけて一口だけ飲み、改めて礼を述べて手渡すと七海先輩は飲み口を眺めたあと口をつけます。素直な小糸さんに後輩への好意を隠し切れない七海先輩の対比がほんと見事だったのですが…って、詳細はコミックスをお読みいただくとして。

「お茶を飲むときにむき出しの素がでる」というのはあくまでも私の仮説で、フィクションでしか見出せませんし、そのフィクションも決して実例は多くはないと思われます。でも、なんだろ、お茶を飲むときって案外無防備になっていませんかね。そんなことないかな。

茶がゆのこと

はてな今週のお題が「好きなお茶」で、それを奇貨として毒にも薬にもならぬ茶の話をします。

ふだんは毎朝コーヒー、それもキリマンジャロ一択です。数年前に十二指腸潰瘍になってカフェインのあるコーヒーはNGとなったとき代わりになるものを探し、ほうじ茶ならOKであったので代わりにしていました。最初はスーパーで売ってる安いほうじ茶のティーバッグだったのですが勤務先のそばの百貨店の食品売り場で山本山があるのに気がつき、そこで若干値の張る、でも20袋入りで300円しないティーバッグに変えると香りと味が段違いで、以降治癒するまで小さなぜいたくなのですが毎朝山本山ティーバッグにお世話になっていました。出勤前に香りと味で憂鬱なのをリセットできる限り小さなぜいたくは敵ではありません。小さなぜいたくは素敵です(異論は認める)。

お茶ついでに書くとお茶漬けというとずっと煎茶を使っていたのですが、ほうじ茶でお茶漬けをするところがあると知ってからはさっそく真似していて、(出汁をちゃんととった方が良いと知りつつも)顆粒だしとほうじ茶に鮭(それに少量の醤油とわさび)でお茶漬けというざっかけなメシの材料として、そして胃腸の調子がよくないと自覚してるときにコーヒー代わりにするため、十二指腸潰瘍が治癒したあともほうじ茶のティーバッグは常備するようになっています。

お茶と米ついでにもう少しだけ書くと、もう一度食べてみたいなと強く思うのがほうじ茶を使う奈良の茶がゆです。以前奈良で泊まったホテルで朝食は選択できたのですが彼氏が茶粥にしたいといい「病人ではないのになんで粥など喰わねばならぬのだ」と思いつつ一緒に食べたのが最初で(銃弾が入ってたわけではないけど)そのとき撃ち抜かれ、見た目は限りなく地味なのですが食欲をそそるというのは香りが関係してくるのではないかと思える程度に香り高くいくらでも食べれそうなものだったので、奈良に泊まったときや京都でも喰えるとわかってからは京都でも機会があれば食べるようになっています。

去春から以前のように気軽に奈良へは行けなくなり次はいつ行けるかもわかりませんが

中毒とまではいいませんが、あの香りに触れたらおそらくいくらか恍惚とするはずで(注・茶がゆの話をしています)、なかなかいけぬ時ほどいきたくなると文字にしてしまうと誤解を受けそうなので書き直すと、あえぬとわかってるときほど恋しくなることって(注・茶がゆの話をしています)ないっすかね、ないかもですが。

弱みの自覚(かゆみのこと)

匿名を奇貨としていつものようにくだらないことを書きます。

ある程度の男女経験が過去にあるんすが、裸になったとき未知の常識ってのにぶつかったことがあります。私の身体には思春期以降下半身の正面の一部だけ密林があって、そこについて「剃っておいたほうがいいかもよ」というそれとなく半分冗談半分真面目に忠告を受けたことがあります。意味が判らないでいると、相手が誰と前に寝てるのかわからないときは密林にしらみがいることがあるのでナチュラルにせず剃っておいたほうが良いという解説を貰っています。そんなにかゆいものなの?とさらに訊いたのですが、解説してくれた人も未体験で伝聞でしかなくほんとのところはわかりません。ただそういう口伝のようなものがある以上、ある程度かゆいことは想像できます。と同時に人って「かゆみ」に弱いのではあるまいか、という仮説を持っています、というか、持っていました。

話はいつものように横に素っ飛びます。

ワクチン接種(モデルナの2回目)の翌日は休みをとっていたのですが、火曜日からは通常通り出社しています。接種部位に熱があったり若干の違和感がないわけではないもののそれが朝の段階では特段業務に支障をきたすレベルではありませんでした。しかし時間の経過とともにかゆみを増してきて、かといって「かいーの」といいながら接種部位をどこかに接触させるわけにもいきません。耐えられないことはないので耐えてたものの、昼休みにちらっとかゆい接種部位を観察すると赤みを帯びてました。副反応だろうなとシロウトながら判断し、急な発熱があるかもと考えて念のためカバンに入れておいたバファリンルナiを咄嗟の判断で服用し、それで午後はやり過ごせてます(あとで厚生労働省のワクチンの副反応のHPを見たらバファリンルナiの成分でもあるアセトアミノフェンイブプロフェンなどが入ってる抗炎症薬の内服についての記述があったので間違いではなかったと思うのですが、いまいち自信はありません)。

残念ながらその日1日だけでは収まらず、勤務先のそばの薬局で軟膏を買いそれを塗ったりしつつここ数日やり過ごしてるのですが、厄介なのは常に症状があるわけではなく、症状が出たり消えたりする点です。間断ないのも地獄かもしれませんが、間断があるのもこれまた地獄です。厚労省のHPを見る限り数日で自然に治ると書いてあるのですが、ちょっとくたびれてきています。

でもって、つくづく感じたのですが・くだらないことを書くと、人がかゆみに弱いのではなくて、私がかゆみに弱いということをここ数日で改めて自覚しました…って、私のことはどうでもよいのですが。

なお接種部位を(保冷剤などを布で包んで)冷やすのも効果的です。現場からは以上です。

モデルナ2回目の記録その2

昨日モデルナの2回目を接種し、9時間半を経過したあたりで前回と同じようにほてってきててしかし念のため検温すると6度8分で、10時間を経過したあたりで注射したあたりがひきつってる感覚と肩から上に腕を上げることが出来ない状態でこれ以上副作用が出なければいいな…と書いたのですが、深夜になると接種部位が腫れはじめさらに接種部位である左を下にすると痛くなってきてしまい(無意識に寝返りをうつと「イ゛!」となる)、だいたい2時間おきに目が覚めて深い睡眠はとれぬまま朝になっちまいました。もちろんワクチンが効果を発揮してると思えば受忍できる範囲なのですが、非科学的なことを書くと悪戯好きのJOKERが陰でクックックッと嘲笑ってる感がぬぐえません。朝起きて検温すると案の定7度2分で、検温時に気がついたのですが腋のしたにも違和感がではじめてます。24時間を経過して7度6分になったところでキツさを感じて買い置きのバファリンルナiを服用してます。ただ効能は4時間から6時間くらいで(休みをとっていたので薬が効いてる間にに昼寝をし)、33時間経過した夜7時半に改めて検温すると7度4分くらいまで再上昇しています。モデルナの2回目は1回目に比べて副作用が強く出るとは先行して接種した同僚から聞いてはいたのですが、ほんとだなあ、と。

1回目のときにも注意力散漫になったことを書いてるのですが今回もやはり変わらずで、眼科から出てる点眼薬を点眼してから毎日顔を洗うのですが、今朝は点眼薬をそばに置いていたにもかかわらず顔を洗ってから点眼してないことに気がつきました。些細なことなのですが、その些細なことが出来なかったことにちょっとショックを受けてます。今日はさすがに火を扱わない方が良いかもしれないと考えて、冷食の中華丼の具に買い置きの胡麻豆腐であるとか備蓄していたものを食べました。

桃缶を冷蔵庫に放り込んで冷やしてあるのですが不思議とそちらは食べる気がせず、接種時に水分を多くとるように云われたこともあって、今日も事前に買い置きしたアクエリアスゼロを1リットル半くらい飲んでます。なんだか今回はスポーツ飲料にだいぶ助けられてる気が。とりあえず現場からは以上です。