次の波への不安

予防保守という考え方があります。定期的に検査やメンテナンスを行って不具合やトラブルが発生する前に対応して稼働不能の最悪な状態を防ぐ考え方です。いちばん判りやすいのが鉄道車両で、一定期間もしくは一定の距離を走行した電車を工場へ持って行きそこで台車や主電動機を含め検査やメンテナンスを行います。

トラブルが発生するかどうかが予測不可能な時というかトラブルがいつ起こるかを予測することは困難な状況下で、予防保守の考え方は「トラブルが発生するとは云い切れないのにトラブルが発生するものとして対処するのは時間と資金の無駄である」という批判が残念ながら形式的に成り立ちます。加えて、先が予測できぬ状況下でトラブルがなるべく起きぬように対策をとっておきそのあとで「トラブルは発生しなかったんじゃないの?」といわれると、とらなかった選択肢については確たることはいえませんから「その可能性はありますね」としか云いようがないです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

去春以降のコロナ渦の中で、映画館は(少なくとも私の知る松竹系やユナイテッドシネマは)市松模様のように一席ずつ座るようにするであるとか場合によってはビールの販売をしないなど専門家の意見をとりいれて感染対策をかなりとってきました(余談ですが歌舞伎に至っては「高麗屋」「音羽屋」などと大向こうが掛け声をかけることがNGです)。不具合やトラブルの回避とは微妙に違いますが「できうる対策をとって安全側に振って最悪になることを未然に防ぐ意図なのだな」と考えて、好意的にとらえていました。

さて、医者に対して疑義を述べる意図で閣僚が「少なくとも感染爆発時に映画館に出たとかどこかででたとか、話も聞きませんから」というようなフレーズを使いつつ更なる行動制限緩和を促す発言を14日にしています。

行動制限緩和は横に置いておくとして、先が予測できぬ状況下で最悪の事態がなるべく起きぬように専門家の意見を聴いたうえでの対策をとっておくことは最悪の結果を招かぬためには決して間違った事ではないはずです。実際、映画館ではクラスターが発生したという話は聞きません。しかし対策をとったから最悪の事態を免れたとは確実に云い切れるものではありません。が、専門家の意見を聴いたうえでの対策への疑義をあとであとだしジャンケンのように呈することは、とらなかった選択肢について確たることはいえませんから反論の余地を挟みにくい、すごくいやらしいものの云い方です。

と同時にその発想は「先が予測できぬ状況下で最悪の事態がなるべく起きぬように対策をとる」ことに対して疑義がなければでてこないはずです。でもって「先が予測できぬ状況下で最悪の事態がなるべく起きぬように対策をとる」ことが万人の理解を得るとは限らない(少なくとも政治家1人はそれに納得してない)、ということを改めて知って、危機感の共有とか危機対策って案外難しいのかもしれぬな、と書けば当たり前のことを改めて思っちまいました。

東京の新規感染者数は減少傾向にあるものの、次の波が来た時には出来うることならやはり先が予測できぬ状況下でも最悪の事態がなるべく起きぬように対策をとってほしいところなのですが、どうなっちゃうのかなあ、という気が。個人でできることはするつもりなのですが。