続続々マスクの話

疲れないように洗面台や台所などを念入りに掃除したあと残りわずかになったパイプユニッシュの替えであるとか在庫が減ってた排水口のネットであるとかを含めコンタクトソークを買いに、うちに居た方が良いと知りつつも午後浅い時間にドラッグストアまで行きました。今日まで有効の15%引きの値引きクーポンを持っててちょっと節約したかった、というのもあります。でもって肝心のドラッグストアの店内にマスクが置いてありました。最初「ああ、マスクがあるな」と思いつつ通り過ぎ「今のマスクだったよな?」と二三歩戻り「たしかにマスクだ」確認し、カゴのなかに入れてます。このおのれの不思議な行動を巧く説明できないのですが、ともかくユニ・チャーム不織布マスク30枚入り税込1628円でした。マスク、市場に出回りはじめたようです(少なくとも多摩地区は)。

私は手芸的なものが得意ではありません。針と糸の使い方はさすがに判っててでもボタン付けとか雑巾くらいがいいところです。なので自作のマスクなどは作っていませんしアベノマスクもまだで、折ったハンカチマスクや融通してもらった布マスクなどをつけていました’。鼻の出血は薬が効いてくれておかげさまで止まっているので無駄遣いせずに済みそうで、出血でも汚さずに済んだ布マスクと併用しながら手に入れた不織布マスクも使うつもりです。いろいろお騒がせしました。でもこれから蒸したり暑くなるはずなので、そのときまで温存してたほうが良いのかな。ほんとはそれまでに収束してくれればいちばん良いのですが。

ニュートリノと反ニュートリノのニュートリノ振動に関する報道

前にも似たようなこと書いたのですが興味ない人にはすっごくつまらない小さな話になります。

物を砕いたとしてこれ以上砕けないという最小単位の粒子を素粒子といい、ニュートリノというのはその素粒子の1種です。電子が電子、ミュウ、タウとわけられるようにニュートリノも対応して電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの3種類に分けられます。

ニュートリノは軽いので人体も通り抜けますし地面も通り抜けます。地球の裏側から通り抜けてきたミューニュートリノと飛騨神岡のスーパーカミオカンデの検出器の真上から飛んでくるミューニュートリノを比較したとき、通り抜けてきたやつは通り抜けてきてないものの半分しかない、ということが20年前にわかりました。答えを書いちまうとミューニュートリノの半分が地球の裏側から飛んできた間に検出しにくいタウニュートリノに変化した、というように解明されています。説明が厄介なのですけど怒られそうなくらいおおまかにいえばニュートリノ自体が質量に応じた振動数を持った波を持ってて飛距離によって振幅が変化し、地球の裏から来る間にミューニュートリノがタウニュートリノに入れ換わっててしまったわけで。で、その入れかわりをニュートリノ振動といいます。余談ですがそれまで素粒子には質量はないのではないかと思われていたのですが、このニュートリノ振動はニュートリノの質量があるときに起きる現象で、ニュートリノの質量がゼロではないことの証拠になり、結果として研究をしていた東大の宇宙線研究所の梶田先生がノーベル物理学賞を贈られています。

加速器というのをつかって人工のほぼ純粋なミューニュートリノのビームを作ることができます。ミューニュートリノが地球の裏側から飛騨神岡までの間にタウニュートリノに変化しちまうように距離を長く飛ばすと別の種類のニュートリノに変化することは書きましたが、2013年に茨城の東海村から飛騨神岡までほぼ純粋なミュートリノビームを飛ばしたら大部分はタウニュートリノになったのですが一部は電子ニュートリノになっていました。このことからニュートリノ振動が電子ニュートリノ、ミュ―ニュートリノ、タウニュートリノの振動現象であることがわかっています。

ここから話はいくらか大きくなります。

どんな粒子にも質量は同じで電荷などが反対の反粒子というのがあり、ニュートリノにも反ニュートリノというのが存在するのがわかっています。粒子と反粒子を入れ替えてなおかつ鏡写しのように同じ現象が起きれば話ははやいのですが、ほぼ純粋な反ミュートリノビームを東海村で作れるのでそれを飛騨神岡まで飛ばしたところ、大部分は反タウニュートリノになり一部は反電子ニュートリノになってはいるのですが、どういうわけか純粋なニュートリノ(ミューニュートリノビーム)のときと結果が同じではなく異なることが2016年までに判明しています。粒子と反粒子を入れ換えてなおかつ鏡写しのように同じ現象が起きれば話ははやいと書いたのですが、そうではない現象のことを難しい言葉で「CP対称性の破れ」といいます。もしかしてニュートリノと反ニュートリノの間にはこのCP対称性の破れがあるのではないか、ニュートリノと反ニュートリノではニュートリノ振動確率に差異があるのではないか、それはどうしてか、というのがここ数年の高エネルギー加速器研究機構東京大学の実験および研究テーマの一つでした。

今日付けのNHKニュースで

ニュートリノと反ニュートリノではニュートリノ振動確率の差異があるのはどうしてか?」

という従来からの疑問に関連し

東海村から飛騨神岡までの間にニュートリノ振動を起こした(入れ換わった)ニュートリノは90個で反ニュートリノは15個、ニュートリノの場合と反ニュートリノの間にはこれまで確認されていない性質の違いがある可能性が高い」

という報道がなされてました。粒子と反粒子を入れ換えてちっとも同じにならないし鏡写しではないわけで、そして確認されていない性質の違いがある可能性が高いというのは差異がある理由としては腑に落ちます。

さらに話が大きくなります。

宇宙誕生の起源ではビッグバンが起きたときに粒子と反粒子が同じ数だけ生成されたはず、とされてて、しかし宇宙には中性子や陽子はあっても反中性子反陽子は宇宙ではあまり観測されません。鏡写しではちっともない宇宙空間における陽子とほぼない反陽子などの関係はもしかしてニュートリノのCP対称性の破れにあるのでは?という説が以前からあります。ニュートリノと反ニュートリノの差異をしらべることによって従来からのCP対称性の破れを含めての疑問についての解明がすすめば、つきつめれば宇宙の成り立ちの謎や自然界に物質だけなぜ残って反物質がないのか、ということについての手掛かりになりえるものです。

今朝のニュース、宇宙の成り立ちに関係するもので、ちょっとわくわくしました。

クラゲプラネット

たぶんなんどか書いてると思うのですが、武蔵野の雑木林の中で育ったのであまり海の生物に縁がありませんでした。ほぼ知らずにいて、10代で横須賀ではじめてヒトデをみたときも後ずさりし正直気色悪いとか怖いとかそういう感想がありました。クラゲもおそらく水族館で観たのが最初のはずでやはり気色悪いなー感がありました。ガラスの10代だった少年がくたびれた40代のおっさんになるまでの間に海遊館や名古屋港やいくつかの水族館へ行き魚類のほかにやはりヒトデやクラゲなども眺めてますが、今でも異形の生物感があって基本は変わっていません。なんど見ても魚類以外の海の生き物はどちからというと苦手です。

藤沢の片瀬海岸に新江ノ島水族館というのがあります。新江ノ島水族館にはクラゲファンタジーホールというのが整備されててクラゲが十数種居ます。クラゲ単体そのものはやはり気色悪いし触りたいとも思えないですが、クラゲの浮遊する姿をまじまじと眺めてると気色悪いと思えたクラゲにも相応の理屈があってあの形状なのか、ということはうっすら理解できました。

クラゲファンタジーホールにあるのがクラゲプラネットです。クラゲを美しく展示するためだけに作られたもので、たしかに「お!」とはなります(なのでスマホで撮った)。単体では美しいわけではなさそうなクラゲがなぜ美しく見えるのか、もしかして美というものは気色悪さと紙一重なのではないかとか、美しさってなんだろうとか余計なことを考えちまうのですが、それはともかくとして。

はてな今週のお題が「カメラロールから1枚」なのですけど、このクラゲプラネットを一時期壁紙にするくらい眺めていました。「クラゲ苦手だよな?」と問われたら「もちろん苦手!」と即答できるのですが、なんだろ、苦手なものが美しく見えることも含め苦手なものをつい眺めてしまう矛盾を巧く説明できなかったり。

SHIROBAKO本田さん問題

なんだか連休明けの解除は絶望的で、そのことに触れると気が重くなるのでMXでやっていたアニメのSHIROBAKOの話を引っ張ります。本作の中には本田さんという恰幅の良いふだんは穏やかな制作デスクがいます。唯一の欠点が心配性なところで、心配性がなせる業なのか後輩にあたる制作セクションの主人公に対して気になることを矢継ぎ早に細かく多くのことを問い詰め確認するシーンがありました。本田さんに悪気があるわけではないもののやられたほうはたまったものではないはずです。(記憶に間違えなければ)本田さんはその場に居た同僚に「そういう追い込みかたをするな」と窘められます。ただ本田さんのやり方は事前に失敗しそうなところをあぶりだし危機を回避しようと思えばできます。

話はいつものように素っ飛びます。

立川談春師匠の「赤めだか」の中に

教える側がいずれ通る道なのだから今のうちに伝えることは、教えられる方には決して親切とは云いきれない、ということを僕は弟子を持ってみて感じた。混乱するだけなのだ

立川談春「赤めだか」P80

というくだりがあって、一時的に人に教える立場になったときに似たような経験をしてとても腑に落ちています。人はいっぺんに短期間に多くのことを学べるとは限らないです。

さらに話が横に転がります。

日本テレビ系列で鉄腕DASHという番組があって長く続いたコーナーにDASH村があります。日本家屋の再建のあたりは録画しつつ興味深く視聴していたのですけどそれ以外にも農作業もありました。その農作業の指導に当たってたのが(亡くなった)三瓶明雄さんです。毎日新聞にはTOKIOの城島リーダーの連載があって27日付のコラムでは三瓶明雄さんに触れていました。興味深かったのは明雄さんは失敗するとわかっていたはずのことでもあまり口を挟まずにいたらしいのです。(恥ずかしながらあまり追ってないものの)いまDASH島では城島リーダーが後輩にあれこれ教えてる(ような)のですが、昭雄さんの影響で安全にかかわること以外は巧くいかなくても多くを語らずに、失敗してもそこから学んでもらう≒こうすれば失敗するということを学んでもらう、のだそうで。

話がとっちらかって恐縮なのですが。

失敗を許容しながら育てる城島リーダー+明雄さん式、かつ、相手のペースに沿って育てるのが理想的で一番いいのかもしれないとは思うのですが、現実にはそうは云ってられないこともあるわけで。

これから先は答えの出ない・出したくない問題です。

後輩を問い詰めるSHIROBAKOの本田さんを髪を拭きながら眺めていて幸か不幸か「おれ、本田さんみたいな追い込みかたをされたことなかったな」と気が付いています。なので他人にもしたことがありません。いままでのところ他人に仕事を任せたりしても本田さん式を取らなかったものの致命的な失敗をしたことはありません。ただ失敗が許されない状況の中で人を育てるとしたらどうするのがベストなのだろう、ひょっとしたら失敗を防げる本田さん式がいいのだろうか、ということをずっと考えてるのですが、答えが出ません。出したくないってのもあります。というのは細かいところを確認する(相手を追い詰めかねない)本田さん式に生理的嫌悪があるからです。現時点で教える立場にないので気楽なのですけど、なんだろ、いい年こいてもしかしてええかっこしいというか甘ちゃんかもしれなかったり。

クリーニング屋にて

歌舞伎の藤娘の長唄のなかで「いとしとかいて藤の花」ってあって、それがどういう意味だか長いことわからなかったのですが、

「い」を縦に十(「と」う)ほど書いて真ん中に「し」で貫けば藤の花だろ?という謎ときを去春に教えてもらってます。おのれがそれに気が付かなかった残念な頭の持主であることを藤の花を近所で見かけると思い出しちょっと悔しかったり。

休みであってもなるべく家に居ろという社会運動は知ってはいるのですが外に出てしなければいけないことはけっこうあって、出し損ねていた冬物と(幸いなことにここ数日は出血は止まっているのですが)失敗して血がついてしまったスラックスをクリーニング店に持ち込んでいます。店先に貼ってあったのが+500円の抗ウイルス加工クリーニングの薦めで、一瞬「+500円ならやろうかな、給付金も来ることだし」と考えたのですが、ほんとに抗ウイルス加工というのが役に立つのなら布マスクにその加工をすれば無敵なはずで、でも話そんなの聞かないよなあ…と思考が転がってそのオプションは選択していません。でも一瞬でもどうしようかな?と考えた残念な頭のおのれがやはりちょっと悔しいです。

ある洋菓子店のこと

もしかしたら前にも書いたかもしれないのですが、酔っぱらった相手を介抱して家まで送り届け、めんどくさいなあと感じつつその家にあがったらドアを閉め家族が居ないからという言葉とともにほんとはそれほど酔ってない・酔っぱらったようにみえたのは演技であることがわかって、物理的にまだハメられたわけではないけど(なんのことかわからないよいこのみんなはわかんなくていいです)ハメられたと悟り、泥酔してるわけではないなら判断能力があると考え・そういうことならと「きちんと戸締りしろよ」と告げて靴をもって外に逃げて門扉が閉まってたので塀を越えて帰ったことがあります。警邏中の警官に遭遇したらどう説明しようかとか塀をよじ登りながら考えなかったわけではなかったものの、ハメられるよりましだとそのまま登り切り、幸いにして深夜の道路には誰も居なかったので警察のお世話にはなっていません。介抱した相手とは気まずい雰囲気になるのも嫌なので何事もなかったかのように振舞ってます。もちろん最近のことではありません。似たようなことを別の人でもう一度体験してて、二度あることは三度あるといいますが、三度目はいまのところはありません。はてな今週のお題が「激レア体験」で、二度あることが激レアになるのかどうかはわからぬものの、激レアであってほしい体験の筆頭格ですって書いてて気が付いたのですが、なんだかおのれの青春、順風満帆ではなかったのだなあ、と。

話を変えます。

東京ローカルのMXテレビは夜に大きいお友達向けアニメを放映することがあります。その放映枠で(ここでさんざん書いてる)青ブタを知って以降、風呂上りなどにMXにもチャンネルを合わせるようになりました。MXで去年末やってたのが「SHIROBAKO」です。すべての回を最初から最後まで視聴したわけではないもののかなりアバウトに書くとアニメ制作会社における青春物で、私が育った東京都西部はアニメ制作会社が多いせいか作品内でも見覚えのある景色がわりと描かれていました。(事前に聞いてはいたのですが)よく知る洋菓子店が名前を変えてはいるもののほぼそのまま登場してて、おもわず「おおおおお」と低い唸り声をあげてしまっています。リアルでよく知ってる店がフィクションに登場する経験は激レアで、しかも嬉しい激レアです。激レア体験、嬉しいことのほうが良いです。

蛇足ですがそのお店で買っていたのがレアチーズケーキで、舌が慣れてしまったのでチーズケーキはレアなほうが好きです。アニメ制作会社のある街の小さな洋菓子店でレアチーズケーキをテイクアウトしてる挙動不審なおっさんがいたら生暖かい目でそっと見守っていただけると幸いです。

昔読んだSFのこと

栗本薫さんの短編に「黴」というのがあって(「時の石」所収・角川文庫)、どこにでもあるような(というと語弊があるのだけど)可視のカビが異常な速度で繁殖し人は制御できず、社会を包囲してゆきます。耐えられるか耐えられないかを含めて読む方の想像力がけっこう試されるのですが、いくらか精緻な描写で物語が進みますって詳細は実際に読んでいただくとして。読んだのは十代の頃で古本屋の店先の投げ売りの箱の中で見つけてます。そういや投げ売りの箱のある古本屋も無くなっちゃったなあという懐古に浸りたいわけではなくて。

不要不急の電話をしているときに「あったらテピカジェル(という除菌剤)を買っておけ」と助言はうけていて、ここ数日探してはいるのですが案の定、手に入りません。ただ66%の瓶詰アルコールを売ってはいて、瓶を眺めながらああそういえば(いくらかネタバレになるので恐縮ですが)アルコール消毒をしてたゆえにカビに包囲された世の中でも生きられた話があったなと全然関係ない栗本さんの短編を思い出したのでした。

社会を包囲する人が制御出来ない新型コロナの報道を眺めてて妙に既視感があったのは不可視のウイルスと可視のカビの差はありますが栗本さんの「黴」を読んでいたせいかと妙に腑に落ちてます。腑に落ちたところでフィクションだったらよかったのにな、という毒にも薬にもカビ落としにもならない感想しかないのですが。

ただフィクションとして経験しておいたことで既視感を得たわけで、いくらか大げさなことを書くとなんだかフィクションの効能をちょっとだけ思い知った気が。