『暁の宇品』を読んで

『暁の宇品』(堀川惠子・講談社・2021)という本を読みました。宇品というのは広島市南部の港がある地名で、暁というのはそこに駐在した陸軍の船舶部門の通称です。本書は満州事変当時トップであった田尻司令官および終戦時トップであった佐伯司令官について多くの頁を割きつつ、簡単に書けば宇品から見た大正期から終戦時までの陸軍の海運部門に関する歴史です。どんな人がここを読んでいるかわからないので・広島へ行ったことがない人も多いと思うので、念のため書いておきます。広島にはかつて陸軍の(『黒い雨』の主人公が関係する)被服支廠や糧秣廠があり、加えて宇品には陸軍の自前の桟橋があり、そこから船に兵士や物資を載せていました。佐世保や横須賀には海軍がいますが海軍は基本的に陸軍の兵士や物資を運びません。ので、陸軍は必要な時に民間から船舶と船員を徴傭し船舶輸送をし、宇品を本拠地にそれらの実務を担っていたのが暁部隊です。

語りたいことがいくつかあるのですが、黒い雨のことに絞って書きます。

本書でかなりのページが割かれてる田尻司令官は上陸作戦を想定する区域の現地を確認した上で実情に合わせた小型舟艇の開発を陸軍省と掛け合うほど(P76)の実務重視の姿勢を示していました。満州事変ではご存じのように日本は大陸へ出兵することとなり、宇品の暁部隊は陸軍の輸送の実務を担い、やはり民間から(漁船も含めて)多くの船を徴傭します。その結果、陸軍及び海軍で当時の日本の船舶の保有量の4割弱が軍用船となり(P151)、困ったことに満州事変はご存じの通りすぐには終わらず戦線が拡大してしまい日本では滞貨は日常となり、炭鉱からの石炭も船がないと運べず→石炭がないと発電所も動かせず→発電所が動かないとアルミが精錬できず、という状態に陥り、暁部隊には船の解傭を求める声が殺到することとなります(P149)。実務重視の田尻司令官がどうしたか、および、その後どうなったかはキモだと思うのでぜひ本書をお読みいただきたいのですが。いまでもこの国は物資の輸送のある程度を海運に頼っています。そうならないように願うばかりですが、仮に民間から船舶を徴傭して輸送しなければならない事態となれば田尻司令官が直面したように同じ事態になるかもなあ、と。

話がいつものように素っ飛びます。

井伏鱒二さんの『黒い雨』の主人公の勤務先は陸軍の被服支廠に関係しています。ピカドンのあとに石炭が足らなくなり糧秣支廠の関係者と共に暁部隊を尋ねて宇部の炭鉱から石炭を広島へ運んでもらうように陳情するシーンがあります。それを読んでいたのでピカドンが落ちるまではそこそこ石炭が運ばれていたのかな?と想像していたのですが、恥を忍んで書くと、かなり早い段階で国内の物流が滞りはじめていたことを本書ではじめて知りました。そのような状況下の中で今度は米国との戦争に突入します。暁部隊がどうなったかはやはり詳細は本書をお読みいただくとして。

話を元に戻します。

暁部隊のある宇品は広島駅や広島城から若干離れていて、ピカドンの影響は屋根が吹っ飛んだりガラスが割れた程度(P326)であったようです。暁部隊には小型舟艇を筆頭に船舶が大量にあり広島には複数の川が流れていることを奇貨として、消火活動や救難救護、上水道の漏水対策、山陽線等の復旧、衣料品や食料の放出や詳細な記録作成などを行っています。本書は船も有り人も居た近くの江田島の海軍がほぼ動かなかったのと対比しつつ、当時の佐伯司令官がなぜそのような的確な行動を起こせたのか?という謎に迫り、関東大震災当時に佐伯司令官が戒厳司令部に居たことを突き止めます(P342)。ほぼ大正12年の陸軍と似た行動をしておりそのときの経験が役に立ったわけで。正直本書を読むまで関東大震災時の陸軍の暗の部分は知っててもそれ以外の功を知らなかったので、唸らされています。

さて、ifの話ほどバカバカしいことはないと思います。が、どうしても考えてしまうのは、ピカドンのときに宇品の暁部隊が動いてなかったら、です。建前としては陸軍も海軍も当時本土決戦を想定していて江田島の海軍が動かなかったのはおそらくそのためで、暁部隊も本土決戦ために朝鮮や満州から西日本へ物資を運んでいました。本書のあとがきにも触れられてるのですけど、暁部隊ピカドンのあとの行動は「軍隊とは何のために存在してるのか」という根源的な問いを秘めてると思われます。

話があちこちに素っ飛んで恐縮なのですが、上記の『黒い雨』ではどちらかというと陳情の件について暁部隊が事態の解決について非協力的な印象をもっていました。が、本書を読む限りそれどころではなかったわけで。複数の視点から眺めないと危険なこともあるなあ、と痛感させられています。

本をたくさん読んでるわけでは無いので大きな口は叩けませんがそれでも書くと本書はあてられることのなかった分野に光をあてた、かなりの熱量を持った本です。まだ語りたいことがあるのですが、駄文しか書けそうにないのでこのへんで。