この前、ポワロの「カーテン」がNHKBSで放映されていました。それを録画してちょっとずつ視聴していました。ディビッド・スーシェの演じるポワロシリーズの最後の作品です。最後の作品という意味は原作を読んでいただけば理解できます。きわめて刺激的かつ興味深い作品です。でもって同時に、おそらく賛否両論のある作品です。放映されたものは原作を忠実に再現してはいないものの・いくつかの点で微妙に異なっていて、でも非常に濃い作品に仕上がっていました。
若干のネタバレをお許しいただきたいのですが、刑法には教唆というのがあります。「そそのかし」とか「扇動」という意味です。刑法では教唆というのは罪になります。実際に手を下した者ではなく教唆した人物をなぜ罪に問うのか、そそのかしがなぜ罪になるのか、法学部というよりあほうがくぶにいた私は正直「カーテン」を読むまではいまいちぴんと来ませんでした。「カーテン」の原作では巧妙な会話で悪感情を増幅させます(ただし一読しただけではわからず、読み返してからあああああああこれかああああああ、となる)。映像のほうは原作と異なる部分がありますが、言葉の怖さ(言葉を駆使して人の心理に付けこむテクニックの怖さ)、というのを充分に認識させられます。理性があることを前提にした人であっても、言葉によって封印されていたものが吹っ飛ぶというところを見せられると、人間は十全ではないのかもしれない、というのを思いしらされます。ミステリのフィクションがなんのためにあるのかといったら、そのひとつは人の弱さを浮き彫りにすることなんじゃないのかな、と思えます。今回の番組もそれを再確認させてくれる作品になっていました。
ジェレミー・ブレッド演じるシャーロック・ホームズ赤毛連盟に衝撃を受け、さらにディビッド・スーシェのポワロによって私はミステリの泥沼にはまりました。スーシェのポワロは原作を忠実になぞっただけでもない作品群があります。オリエント急行殺人事件は原作と映像と両方を知っていますが、スーシェのポワロのオリエント急行殺人事件は原作と微妙に異なるものの、特筆すべきものに仕上がっています。ここでもまたネタバレの罪をお許し願いたいのですが、いったい誰が実行犯かということは既にあんまりテーマになっていません。実行犯は司法の下した判断ではない正義を全うしたことを主張します(その主張はまったくわからないものでもないものです)。それに対して、ポワロは激昂し、人が正義のもとに勝手に裁いて人命を奪うことに関して「ならず者」と主張します。実行犯に対して若干の同情をしてしまったほうも「ならず者」と呼ばれちまってるのと同じです。殺人に同情して罪を許してしまうことが正義なのか、とつきつけます。ポワロが最終的に下した判断はここでは述べませんが、原作と異なり復讐と正義と司法の問題というテーマが深く横たわっています(それはどの国にも共通するテーマなのではないかな、と思います)。
さて、今回の「カーテン」で、すべての作品の映像化が終わりました。「カーテン」のエンドロールで「25年間ありがとうございました」という趣旨の字幕が流れました。それを見たら、もう新作はないんだよなあ、ああ終わっちまったなー、という一抹の寂しさがあります。
でもって、視聴していたほうからすると、制作したロンドンのテレビ局と放映してくれたNHKただただ感謝あるのみです。