実際にできるかどうかは別として「こうあるべきだった」論を持ち出されることがあって・持ち出されて、でもその要求どうりは無理なので(ほかの選択肢があったときとらなかった選択肢について仮定の話ならいくらでもいえますからまともに向き合うと疲労するので)そこまでいうならあとは勝手にやってくださいてきなことをいったら、黙っちまったことがあります。
健全な精神は健康な肉体に宿る、ってのがありますが疲労時にはけっこう導火線が短くなってるのを最近、自覚してます。良くない傾向だなってのは判ってるんすけども。