去年のはじめのあたりに、国会の答弁で「乗数効果」ということばについて当時の財務大臣が、巧く答えられなかったことがありました。経済政策を語るうえでキーになるんすが、質問したほうは別に嫌がらせでもなんでもなくて答弁を求めてるうちに相手の云ってることが判らなくなって念のため問うたらしいのですが、(知らない、ということを素直に認めることは立場上、一国の財政を握るものがいえないかもっすけど、知らないで政策決定するより知らないことを認めて必要なら勉強して決定したほうがよほど健全な気もするのですけどもそれはともかく)そのやりとりをみてて、ああ、ことばを知らないことは恥なことなのかなあ、ってことを意識したんすが。


職務に関することばはさすがに覚えてますし、そこでわからないことばがあったら必ず確認します。それでメシ食ってるからです。でも知らないことばは名称は知ってても理解してないことばがけっこうあります。法学に関してはいくらか理解できても経済用語はあわれなくらい音痴でミクロ経済とマクロ経済の差も、片方は体内に入ってくSFがあったよなあだから細かいほうかな、マクロは大間のマグロを連想して大まかなほうの話だよなあ、程度の基礎知識です。なにかしら予習をしないと経済は理解できません。経済用語と同じくらい横文字もだめで、ここ何年かクィアというの言葉も知ってはいるのですが、マイノリティってのはその程度や経緯、ってのはまったく個人差があるのでほんとにその一言でくくってしまってええのんかあ?っていう素朴な疑問があるのでそこで止まっちまって、理解してません。ただなんとなく最近「知らない≒恥」みたいな文化になってて学のない人間からすると生き難い世の中だなあ・学はないよりあったほうがいいのかなあ、なんて思うので、とりあえずそこらへんわかんないことばがあるってことを把握しておいて必要になったら追いかけようっていうレベルで止まってます。
でもってこの程度の教養である≒無教養であることをあえてカミングアウトしなくてもいいかなあと黙ってると不思議なくらいこいつは教養があるだろう、ってなふうに誤解されることがあって、難しい言葉・知らない言葉を投げかけられることがあります。運よく理解できればいいですが、他人の言ってる言葉とか他人の引用してる言葉ってのが教養がないからよくわかってない時があって、そういうときは海図のない状態での海の中を丸太船でひたすら漕ぎ出してる感覚がすごくあります。訊ければいいですが、会話ならともかく文章だと難しくて、タスケテクレーとか内心思いながら、目的地にたどり着けたらいいなあ、なんてこと考えながら読み進めることもけっこうあります。でもまあ、なんとかなることもおおいですが。



考えてる時にことばより先にもやもやしたものがあって、ことばにした途端、あれ、これ違うぞ、ってのがしょっちゅうあります。特に文章書くときに、つくづくそう思うようになりました。そういう意味でも言葉を知らないです。ここらへん知らない言葉にぶち当たって自分でこういうことなのかな?って模索して理解した言葉以外、あんまり受け付けない貧弱な脳なせいもあります。
前のネコじゃねえパソコンからの引っ越し作業をしながら前のパソコンをどうしようかなんてことを考えながら、ブログをかくようになってじぶんのそういう脳の構造が前より明確にわかってきた・ことばを案外知らないことが判ってきただけでもめっけもんなのかなあ、ってなことをかんがえてました。
賢くなってるのかなあ。
賢くっていうことばも、いまいち理解できてませんが。