続・読書の秋(紅旗征戎非吾事について)

中学のときだったか、百人一首のテストがありました。30だか50だかを覚えて、それを書けなければ居残りでできるまでずっとテスト、ということがありました。幸いにして一発でなんとかなりましたが、覚えるのは機械的です。「あいみてののちの心に比ぶれば昔はものをおもわざりけり」とか今でもすらすら出てきます。しかし意味なんて覚えていません。理解できるようになったのはうしろの処女を失ってからです(良い子のみんなはなにかわかんなくていいです)。何回か書いてますが童貞でうしろの処女だったころはブリーフなんて以前はどうでもよかったのですが、上を通過する人があらわれはじめたらなにかあったときのために勝負パンツというかどうせ脱がされる運命にあってもみられてもちょっといいようなものを履こうというようにブリーフを意識するようになりました。人って、変化する・可塑性があるって刑法の時間に教わったのですが↑の短歌はまさしくそれを表現してるわけで短歌が血肉として理解できた瞬間です。そのようにして百人一首のひとつを理解できたけど和歌を詠むほど教養はありません。「栗ご飯ねだられ気づく去りし夏さらば冷しゃぶ豚みぞれ丼」とか57577に当てはめればそれっぽいのはできますが、文学部を出てない上にそもそも短歌というものは実体験したものを詠うのか想像で詠んでいいのかそれすらも知らない基礎的教養もない労働者なので、多くを語れませんって、前置きがなげーよ。
藤原定家というひとがいて、日本史では新古今和歌集の撰者として覚えさせられる人です。貴族の出で、新古今和歌集のほかに明月記という日記が残っています。その明月記のなかに紅旗征戎非吾事という記述があって、紅旗(朝廷の旗)を掲げての戦争は私の関知することではないよ、というように伝わったりしています。実際の世の中ではそのころは武家が実力を持ちはじめ源平の勢力争いがはじまりつつあるが私はそれに関与しないよ、という姿勢を表している、ととらえられています。いわゆる芸術至上主義ということのように理解していました。去年の晩秋、亡くなった辻井喬堤清二さんの講演を記録した「憲法に生かす思想の言葉」という本を読んで、(本そのものは宮本百合子さんのことや護憲の立場からの発言もありますが)文学や短歌などにも触れられていて、いちばん印象に残ったのが定家についてです。古今和歌集の撰者のひとりである紀貫之の仮名序の一節

力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり

などを引用して、「紅旗征戒吾がことに非ず」ということばを芸術至上主義ととらえることに疑義を呈し、当時の権力の状況を踏まえるとおそらく本気で短歌というものがもののふの心も和らげるということを定家は信じていたのではないか、という趣旨のことを書いてて、目から鱗でした。なぜいくつもの歌集が編まれ、天皇をはじめ権力者がなぜ短歌を詠んでいたのか疑問に思っていたので、その点についても妙に納得した部分があります。俳句や短歌に疎いもののいくぶん平安期が近づいたような気が。
もちろん辻井説を理解したところで実生活にはなんの役にも立ちません。でも秋って本を開きやすいというかなんの役にも立たたない世界にふと没入しやすいことってありませんかね、ないかもですが。