伝法院へ

放射能ってのは目に見えないので、正直防ぎようがなくて、科学者が東京にいて大丈夫って言ってるんだから、まだ安心なんだろ、ぐらいの認識しかなかったりします。今週、浄水場の水が規制値を超えた、ってな報道がありましたけど、大人はダイジョウブそうなので気にはしてません。でもってそういう社会に関係なく台東区ではいまこぶしが咲いてます。

この先なにが起こるかわかりはしませんが、だめだったらそんときはそんときで、ぐらいの認識しかないっす。つか、仮に逃げるとしても今の仕事ほっぽり出してどこかへ行くわけにもいけないし。
ただ東京中がなんとなく「びびってる」というか「漠たる不安」ってのはあるような気がしてて、なにかのきっかけとともにまち全体がそっちへ動くというか、たとえば水の報道のあとはほんとにミネラルウオータが減りました。いいかえれば蚊がいることはわかってるんだけど、蚊を退治できないもどかしさと蚊に刺されるかもしれないぷち不安感に似てるかもしれません。余震と同じようにそのうち少しづつ消えてくれればいいな、とおもってるんすが。


そういう能書きはともかく、今日、少しだけ寄り道して浅草へ。

浅草寺本堂は平成の大営繕をここ2年くらいやってたのですが、無事完了しました。で、それを記念して絵馬を中心とした寺宝の公開と伝法院庭園の公開を4月28日までしてます。絵馬って言っても等身大のでかいやつが主流です。江戸時代の文化の中心地のお寺だけあって絵馬も金蒔絵仕立てのものがあったり谷文晁とか歌川国芳が書いてるのがあったりします。江戸の人たちが金に糸目をつけずに一流の絵師に任せて奉納してるわけっす。おー、というものがけっこうありました。浅草寺のそばの猿若町にゆかりが深い中村勘三郎の二代目が寄進した絵馬ってのもあって、馬鹿みたいな感想ですがああほんとにいた人なんだー、っていう実感を持ちました。

浅草寺五重塔(左)とスカイツリー(右)ですが、ここでは五重塔のほうが高く見えます。

伝法院というのは浅草寺の本坊です。で、本坊ってのは住まい兼寺務所兼応接間みたいにお客様をいったんむかえる場所なんすが、見えてるのは応接間のような扱いの書院です。明治4年の建築。毎年春はこの書院で投扇興ってのをやったりします。

ちょっとだけ内部がのぞけます。掛け軸に描かれてるのは光明皇后っす。なんだか、おおおーと思っちまったんすが。

伝法院の庭は小堀遠州の作。
東京はまだまだ寒いんすが、なんでかわかんないっすけど、伝法院の中では桜が咲いてました。


さてお約束のスカイツリー

現在の浅草周辺はこんな感じっす。