疲労度が高くなるとなんとなくすべてがめんどくさくなります。めんどくさい、ってのは煩わしいってことのほうなんすけど、それをはしょると大抵もっとめんどくさい事態が訪れやすかったりします。めんどくさがってかくし包丁をしとかなかったふろふき大根のように中途半端なことをすると、煮詰めても中心まではなかなか熱がとおりにくいし下手したら表面には煮くずれがおこったりします。だからめんどくさいなー、って思いつつもかくし包丁をしとかないとまずかったりします。中途半端な仕事は、煮くずれになりかねない。それが判ってるなら、リスクのコントロールはしといたほうがいいわけで。
つか、めんどくさいなーと思うのは私だけかもしれなくて、「かくし包丁」は人によってはあたりまえのことって考える人もいるわけで場合によってはあたり前のことをあたり前のようにできないと当たり前でない駄目な人間と思われちまうわけっす。めんどくさいから手抜きをしたあと、ふろふき大根がなんとかなっているように見えても、実は信頼を失ってることもあるわけで。めんどくさい、と手を抜くと、たぶんそういうことが待ってるんじゃないかと。

信用ってなんだろ、ってことをたまに考えるのですが、ひとつはトラストミーという前に中途半端な仕事をしないことなのかな、って仮説を立ててるんすけど、あってるかどうかはわかりません。個人的には周囲に背中を堂々と見せられるか、ってのもあるんすが。