私はどちらかというと簡単に頭を下げるほうです。判らないことがあったら頭を下げて平気で人に対して質問するし、間違ったら謝ります。伊予小松の遍路宿で若いのになんで平気で頭を下げることができるのか、ってことを訊かれはしたのですが、なんのことはない、間違いをそのまま放置して傷口を広げるよりはリカバリーが可能な段階で修復しておいたほうが良いってのと、なるべく間違いたくないってことがあるからです。
しかし、これって、私生活では徹底できないんすよね。なぜか。私生活だと間違いってわかっててもそっちへいっちまう。で、傷口が開いたりする。
例えば、相手がやる気を見せたとき、相手に恥をかかせたらまずいじゃんとか考える。さらにどこか、火がつくとまずい。たぶん淫乱に身体ができてるのかもだけど女性と違って気持ちが入ってないからなかなか気持ちよくならないとかそういったことってあまりなく、均整が取れてる裸体を見たりとか愛撫がそこそこ巧かったりとか視覚的触覚的に刺激があれば興奮しないわけではなくって、できることはできてしまう。行為自体も楽しんでするような術、もしくは自分だけでも興奮する術をどこか覚えちまうと、何とかなっちまう。つまるところこちらが本気で好きじゃなくったって、なんとかなる。抱き合って、キスし合って、包まれてる感覚の心地良さってのが、生来の官能なんじゃね?とおもってたし、嫌いじゃないし、人の体温に触れるのは嫌いじゃないしむしろ好きなことだけど、自分と他人の間に温度差があったときはどこか相手の善意みたいなものを踏んづけてる気がしてひどく自分が間違ってることをしてる気がして来てて、それを考えると少し胃が痛くなる。真剣に考えすぎなんだろうけど。いいじゃん、簡単にできればっていう、悪魔のささやきも聞こえるんですが。そもそも相手の内心なんてほんとは判るほど人生経験踏んでないんすけども。
どこかいいなーとおもえれば、さらに性的魅力もあればなおのこと、好きじゃなくっても付き合えるしそのうち何とかなるだろう好きになるかもって言う楽観論が、相手が興奮したのを見ると頭の中でもたげてくるんですけど、それはけっこう幻想に終わることもあって、そのことも経験で判ってはいたはずなんすけど。冷静に考えて目の前の相手より、かつて付き合ってた相手から来るメールのほうが嬉しいってのは、どこかまずい。目の前にいる相手以外のことをちょっとだけ考えていることに気がついて、好意があるように振舞う偽装って簡単だなー、と思ったです。デート中、つか、デートとおぼしきものをしてるとき。
自分で認めたくなかったから考えないようにしていたんだろうけど、好きになるかもっていう理屈で寝るのはたぶん間違いなんでしょう。今はともかくこの先可能性があるからってのは、自分を正当化するためのものに過ぎないのでしょう。手を伸ばせば手に入るくらいの状況で誘惑があったからっていう抗弁をしても、やはり理由にはならなくて、間違ってるんだとおもいます。
間違いってわかっててもそっちへいっちまうのは、たぶん弱いからなんだと思います。
傷口が悪化する前に何とかしなきゃってのはわかってるんですけどね。
ただ、馬鹿につける薬はないかもです。