苦手なもの

って、サボテン責めに遭ったとかではないです。

自慢する人が小さい頃からどこか苦手です。
たまに、自分がいかにすごいかってことを自慢したがる人が居て、あーそですか、と受け流してはいるのですが、内心なんなんだろうこの人はってことがあります。我慢ならないってことはないんですが、どこか、そういう人は引っかかるのです。
また、自分がそれをやっちまってる可能性があるからなんともいえないけど、その他人に自慢したくなるような体験をしたとして、その経験自体に価値があるってことは滅多になくって他人に自慢したくなる経験をして自分がどう思ったか、ってことを言わないと意味はないと思うことがしばしばなのです。こういう経験をしたのどう?すごいでしょう?っていわれても、なんなんだろう、ってことが多いんですけど。
普通の人がしない普通ではないことをすることや経験をしたことで普通でないという定義がその人の中でなされ、自分はすごい人なのだ、自分はすごい経験をしたのだっていう自慢になるんだと思います。よくきくとだからなんだってことくらいで、しかし、それがどうでもいいことほど常に対比したがる。自分と他人を。普通である自分以外の人が存在しないと他と違うところがわかりにくいからです。それが鼻につく。で、つまるところ自分の特殊性自分の体験の特殊性や優位性を認識したりアピールするために周囲の人間は利用されているってのがどこか引っかかりを覚えるのです。自分が他の人と違う人間と認識するためにその人にとって他の人は普通の人間でなくてはならないのでしょうけど、そういう人って他人なんてどうでもいいんですよね。自分が人と違うって優越感を抱きたいから殊更自分の素性の特殊性や、体験の特殊性を折に触れて強調したがる。自分の特殊性ってのを強調する人がいるとなんか警戒しちまうのです。なんのことはない、その人はすごいねって同情して欲しいか褒めてほしいだけであって、まともな話なんかはなからするつもりがない可能性が高いからです。
つか、特殊性って、普通は隠したがるんですけどね。超能力者なんて普通その能力を隠したがります。