漢字の問題(一部加筆)

阪急電車は大阪梅田行きの場合は十三をでると普通なら次は中津ですが、ある日十三につく前に車掌が「次は中津、中津」とやっちまった。十三ををでたあとにさーどうするのかなーと乗客が固唾をのんでアナウンスをきいてたら、平然となにごともなかったかのように「次も中津、中津」といった、っていうのを笑福亭鶴瓶師匠が噺のマクラにしてたのを記憶してます。
人間、云い間違いってたくさんあるんすけど、普通の間違いならかまわないのです。
むしろ間違え方を注意しないとまずいっす。ほんとに間違えちゃいけないところで間違えたらまずいのです。


「踏襲」をトウシュウでなくフシュウと読んだその発言はそもそも村山内閣のときにだしたいわゆる「村山談話」というやつについてでした。村山談話の認識を共有し麻生内閣でも引き継いでいくということを表明する場面、つまりとくに諸外国が気にしてるであろう場面というここ一番で(困ったことに)読み間違えちまった。役人やサラリーマンで、誰かを説得したり自分の意思を伝達するここ一番の場面に読み間違いをおこしたら抹殺されます。重要な場面で踏襲をフシュウっていったら口には出さずとも「ナニいってるのこの人?」なんすよ。この人ダイジョウブなんかな、っておもわれちまうわけっす。それがこわいから公式な場面ではみんな言葉に神経を使います。麻生さんは役人出身でもサラリーマン出身でもないからそういう感覚がないのか、ゆえに平気で間違えるのかもって思ってますが。
問われるべきなのは漢字の読み方を知ってるかどうかではなく間違っちゃいけない場面で的確に間違えるセンスのはずです。


漢字を知ってたからって偉いわけではないはずです。知識として漢字を知ってても意味はないんすよ。なんのことはない、料理の世界や法律の世界と同じで調理法や条文をたくさん知ってたって意味はない、巧い具合に使わないと意味はないってのと同じなんすけど。ほんと重要なのは知ってる知識を他人に対して説得するときにどうやって使うかなんすよ。
知識としての難しい漢字を知っててもその使い道がわからないっていうか、うまくつかうことができてないと説得力にかけるのではないか、と思います。漢字に限らずことば全般においてもそうかもしれません。そこらへんができないと相手を説得するのが生業の政治家だとまずいなんじゃないか、と思う(ここらへん政治家ではないけどことばに不自由で漢字を知っててもうまくつかいこなせてない私自身の問題でもあるのですが)。もし使い道を知ってたらいい間違いなんかはしないでしょうし、政治家であればもっと世論を動かせるでしょう。
勝手な推測なんすけど。