門外漢で、子宮を持たない野郎がこの手の裁判にコメントするのは気が引けるのですが。
福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医k被告(39)の初公判は26日、福島地裁で開かれ、被告は起訴事実を否認し、無罪を主張した。医師の医療行為への捜査に対し、多くの医療団体が抗議の声明を出すなど全国が注目する審理。被告が「切迫した状況の中で、産婦人科医としてできる限りの措置をした」と述べたのに対し、検察側は被告が先輩医師から大量出血を伴う危険な手術になることを指摘されたことを明らかにした。対立の構図がより鮮明になった。
検察側は被告が手術前、福島医大の先輩医師から複数の産婦人科医による手術を勧められ、断ったことを明かした。被告の自宅に「癒着胎盤を無理にはく離すべきでない」とする医学書があったと説明。今回の被害者のように帝王切開歴がある患者は、癒着胎盤の確率が24%と通常より高くなると主張し、過失の重大さを指摘した。
一方、弁護側は「検察側が示した医学書の執筆者から『はく離しても良い場合がある』という回答を得た」と反論。被告は手術前、通常より慎重に超音波検査などを試みたが癒着胎盤が確認できなかったと説明した。 癒着胎盤への措置が最大の争点。被告は手術中に胎盤をはがした時について「はく離できないわけではないが、しづらくなった」などと「癒着」と言わず、適正な医療行為だと強調した。
起訴状などによると、被告は平成16年12月17日、福島県楢葉町の女性=当時(29)=の帝王切開手術を執刀し、癒着胎盤に気付いた後、医療用はさみ(クーパー)などを使って胎盤をはがし、大量出血で女性を死亡させた(略)。癒着胎盤→子宮内にある胎盤が子宮内壁と癒着した状態。数千例に一例といわれる。胎盤は通常、出産後間もなく自然と子宮からはがれて除去されるが、癒着胎盤だと除去が難しくなる。
福島民報1月27日付より転載
業務上過失致死罪は、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死亡させる犯罪」を指します。医療ミスによる死亡も業務上過失致死罪になりえます。医師の医療行為は医師という社会生活上の地位に基づいて継続反復して行われるものであって、そのミスによって患者の生命身体に危険を生じたからです。なお、医師などの業務者は人の生命・身体に対して危害を加えるおそれがある立場にあることから、そのような危険を防止するため政策的に高度の注意義務があるので、単純に人を死なせた過失致死より刑は重かったりします。
で、福島のこの事例は、滅多にない症例に遭遇した産婦人科の先生が最善を本人は尽くしたけど、手術の結果患者は死亡してしまった、といった事例です。たぶん生命の危険を未然に回避すべき業務上の注意義務があるのにそれを怠ったと検察は判断したのでしょう。医療の実情を知らない私なんかがみると一応この事件は単なる医療ミス、と片付けてしまいがちなのですが、この産婦人科の先生が逮捕されて以降は、全国の医師が固唾をのんで推移を見守ってる事件であるようです。予見のきわめて困難である事件で最善を尽くしたつもりでも治療後に結果の重大性に基づいて刑事責任が問われることになるのであれば、常に訴訟リスクを抱えながら診療しなくてはならなくなるからです。裁判の行方は検察が文字通り「合理的な疑いを容れる余地のない(困難な)証明をなしえるかどうか」が鍵になるとおもうのですが、ちょー専門的な分野にたぶん詳しくないであろう門外漢が入って指弾する姿に私は感覚的に違和感を覚えます。
随分前に精神科の医療というのが案外未発達で発展途上であることを知ったのですが、精神科に限らず医療というのはまだ未解明な部分が多く、微妙な学問なのだと思います。ルーレットの博打と比べたらまずいかも知れませんが医療はうまくいかないところもある確率論的なところもあるでしょう。患者側は診療行為を経た以上は快方に向かってるという幻想を抱きがちです。お医者さんは神の手でもなくスーパーマンじゃないのは事実だと思うのですが、しかしそういう幻想があるきがしてなりません。えっと、細かな話になりますが、予見できる可能性があって、他の方法で助かる可能性がないとはいえないときに、その方法をとらなかったことを責められても仕方ないのですが、素人考えながら常にリスクに晒される医療現場において安全な完全な医療ってのはありえないのではないか、とおもうのです。この裁判がちと不毛な要求をしてるんじゃないかと、おもえてなりません。
ここ何年か遺族感情を重視した刑事裁判の判決がでてるような気がするのですが(例えば奈良の女児連続殺傷事件)もちろん遺族感情も重要だとおもいます。この裁判において遺族からアクションがあったのかわかりませんが願わくば冷静な判断を裁判所に願いたいとおもいます(というか裁判官がどこまで医療に詳しいかわかりませんが)