被害者参加人制度

被害者独自に求刑
刑事裁判改革、法制審が要綱決定


法相の諮問機関の法制審議会刑事法部会は30日、刑事裁判に犯罪被害者や遺族らが当事者として参加して被告に直接質問したり、独自に求刑したりすることができる「被害者参加人」制度の新設を柱とする要綱を決定した。法務省は2月に答申を受け、刑事訴訟法などの改正案を今国会に提出する。両制度は、殺人など故意の犯罪で死傷させた事件や強制わいせつ、強姦(ごうかん)、誘拐、逮捕・監禁などの事件が対象。被害者参加人制度では業務上過失致死傷の事故も加わる。被害者側が検察官を通じて申し出て、裁判所が認めれば適用される。被害者や遺族らに「被害者参加人」という法的地位を与えているのが特徴で、法廷では傍聴席と仕切る柵の内側に検察官らと座る「在廷権」が認められ、裁判官の許可を得て被告に直接ただし、被告側の主張に反論できる。事実以外の情状面に限られるが、証人への尋問も可能になる。被害者や遺族の意見陳述は2000年成立の法改正で認められたが、被害感情に関する陳述に制限されていた。要綱によると、新たに最終意見陳述の機会を設け、起訴内容から逸脱しない範囲で、被害者が検察官の論告求刑とは異なる求刑をすることもできるようになる。裁判所は、これらを判決の判断材料にする。また、例えば傷害致死罪で起訴された事件で、被害者側が殺人罪への訴因変更を求めるなど、検察官の権限行使について被害者側が意見を述べることも可能になる。検察官がこれを拒否する場合は、理由を説明しなければならない、としている。(以下略)

1月31日付中日新聞より転載

まだ可決してないはずなのですが、こういう立法も審議されてるみたいです。
刑事裁判の原則は被告・弁護人と公益を代表する検察官だけが当事者で被害者は現行法では当事者ではありません。で、新設されるかもしれない被害者参加人は死傷事件や誘拐などの被害者や遺族らが対象で、検察官を通じて裁判所に申し出て許可を得れば検察官とともに法廷に入り、被告や証人に制限付きながら直接質問したり、意見を述べることができるようになるわけです。これまで証人として出廷したり、情状判断の一環として被害心情を意見陳述する以外は傍聴席で法廷の被告や弁護人の発言を傍聴することしかできませんでした。その点法廷内にいて審理にかかわり自らの意見をのべて、というのは一見画期的なんですけど、果たしてどうでしょうか。


殺人でも暴行でもいいのですが、刑事訴訟において判決がでるまでは実はほんとは有罪と確定するまでは推定無罪の原則が適用される『疑わしい人』であって、犯罪者ではないです。加害者として逮捕され勾留され起訴されても基本的には『疑わしい人』であってほんとに犯罪者になるかどうかはしつこいようですが刑事裁判が終わって判決がでてから決まります。で、ここのところずっと被害者感情がクローズアップされ尊重されてる雰囲気があってて気にはなってたのですが、確かに被害者にも発言の機会があったほうがいいかも、というのは感情的にわかるのですが、しかし被告にも権利があるのです。それを侵害することになりやしないかとおもうのです。『疑わしい人』を加害者であろうという前提に立ち発言の機会を与えるというのは、ちと推定無罪原則を空洞化するわけでおかしいのではないかと思います(そもそも意見を述べるほうが被害者かどうかは刑事裁判の結果確定されるべきもので「被害者」として扱うことそれ自体がバイアスのかかった見方だと思うのです)。また裁判はあくまで法と証拠に基づいて理性によって判断する前提になってますが、当然裁判官が適度に訴訟指揮するのでしょうが、被害者憎しの応報感情に支配された被害者らが裁判に直接参加すれば被告や弁護人はたぶんさらなる負担を強いられるでしょう。さらに普通の社会人が参加することとなる裁判員制度の発足後は、裁判官や弁護人以上に「被害者」の意見に判断が迷わされる可能性が高いとではないかな、と思うのですがどうでしょうか?この国は情で流される国であるきがします。情ほど判断を誤らせるものは無いと思うのです。私はこういう制度止めておいたほうがいいとは思うのですが。機械発言を見て、なんか情で流れる国だなー、と再確認してつくづくそう思いました。