梅咲きはじめ

東京の西側はまだ最低気温が氷点下になることがあって、そんな状況で「花粉が飛んでるのではないか?」と云われて半信半疑だったのですが、午前中に洗濯物を干しているときになんとなく鼻にその気配を感じてしまっています。あわてて花粉症の薬を確認すると残がひとケタで、なので買い出しへ。

ついでに近くの公園に寄って

行き掛けの駄賃に咲いてるのは数本であったのですが梅を観ています。

剪定をしてない梅を見かけてて

梅の木の若い芽の力強さを目撃しちまってます。偶然かそうでないのかはわかりませんが咲いてはいません。この力強さが花に行くのかも知れず「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」ということばがあるのですが百聞は一見に如かずというかなんだか目にすると腑に落ちたというか。

鼻とか目とか腑に落ちるとか、脳を使ってないのがバレそうなのでこのへんで。

日本読書株式会社から遠く離れて(本の感想や本の評価についてのまとまりのないこと)

『発作的座談会』(椎名誠沢野ひとし木村晋介目黒考二著・角川文庫)という本を高校の頃に高校の図書室で借りて読んでいます。ひとつのテーマに関して本の雑誌社の幹部が語ったものを活字化した本で、名誉のために書いておくと「無人島に持ってゆく本」等のテーマもあるものの「コタツとストーブどちらがえらいか」とか限りなくどうでもいいものも含まれるのでそこらへんは読みながら必死に笑いを堪えていました。そのなかに良い本を万人にすすめたいという観点から出た目黒さんがいいだしっぺの「日本読書株式会社」というのがあります。1ヶ月1000円の会費で中立な立場でカウンセリングしながら面白い本をすすめるなどの手法で本を紹介することで商売ができないか?1ヶ月1000円で2万人集めれば2千万で経費を半分の1千万に抑えればなんとかなるのでは?などと話が進み、しまいにはエスカレートして書評はプロに任せて闇書評は禁止という世界線へ行ってしまいます。その日本読書株式会社がどうなったかは是非文庫になってるので読んでいただくとして。

いつものように話は横に素っ飛びます。

他の人が良いとか面白いという評価を下したものを最後まで読めなかったことが高校生の頃にありました(たとえば『ライ麦畑でつかまえて』)。そこらへんから他の人が良いと思うものとおのれが良いと思うものには違いがあると自覚してて、いまから思えば噴飯ものなのですが労を少なくして受験勉強の合間に面白い本を読みたいという欲求があって目黒さんの考える「ゆえに日本読書株式会社があったらな」と思っています。でも現実にはそんなものはありません。そのあと同じ『発作的座談会』を読んでいた同級生の紹介で関係あるかもと勧められて『文学部唯野教授』(筒井康隆岩波書店・1990)を最初は借り、そのあと(「ちゃんと読まなくちゃいけない本である」と考えて)買って読んでいます。「面白い」もしくは「面白くない」というだけの批評に陥らない文芸批評に関することをフィクションを織り交ぜながら解説している内容で、しかしながら扱っている解釈学や構造主義など高校生には内容は難解過ぎていて、当時うっすら理解できていたのはその中の4分の1程度です。その上(実質はあほうがくぶの)法学部へ行ってしまったのでおよそ30年を経たいまでもすべてを理解できているとは思えません。ただ小説などを語るうえで世界には多くの蓄積があることを高校のときに知れたのはよかったのかもしれません。

さらに話は横に素っ飛びます。

本好きの紅顔の美少年…じゃねえそれほど美しいわけでもないけどテキトーに本を読んでいた少年がくたびれたおっさんになる頃にはインターネットが出来ていました。はてなにアカウントをとってあれこれ読んでいるうちに特定の作家の名を挙げて「面白さを理解できないのが理解できない」というような趣旨の最初に断定があって断定ゆえに説明がない書き込み、かつ、他人を貶めるようなものにぶち当たったりしています。日本読書株式会社を最初に読んだ頃は「闇書評は禁止なんてブラックだな」と思っていたもののそれを読んでカチンと来て以降は「書評はプロに任せた方が…」的なふうにブラックな方向に思考が動いています。もっともそれは表現の自由にかかわりますから危険思想です。ブログなどに本の紹介をかけなくなりますからかなり暗黒社会です。でもそれを一瞬とはいえ望んでしまっています。

じゃあ私がプロ並みの書評ができるかというと、唯野教授の内容を読んで何割かは理解しても自家薬籠中のものに出来ぬままなのでムリです。私が本について感想を書いたとしてもまったくといっていいほど反映されておらず、くわえて、読書という個人的体験について記述してるにすぎず、ので本や書評や本の感想について私はあまり大きな口は叩けなかったりします。

先日、毎日新聞の黒枠記事に目黒孝二さんの訃報が載っていました。本の雑誌本体は縁があまりないのでほとんど読んでおらずゆえになにか書くのは変かなあ、と思いつつ書きたくなってしまっています。本を読むことやそれを評価するという行為について長いことあれこれ考えるきっかけになったのは本の雑誌であり日本読書株式会社を考えた目黒さんであったりします。寂しさとは別の、いまにいたる道しるべが消えてしまった喪失感があったり。

横着未遂

ローカルな話をして恐縮なのですが「ほうとう」と呼ばれる麺状のものを粉が付いたまま根野菜などと一緒に煮込む鍋料理が甲州にあります。俗に「うまいもんだよかぼちゃのほうとう」とも云われるので観光客向けの店ではかぼちゃとともに煮込むことがありますがかぼちゃでなくてもよく別にキノコ類を主体にして作ってもなんら問題はありません。そして味噌じゃなくても醤油ベースでも無問題です。

寒波が来るというのは事前に何度も報道で流されてて数年前氷点下まで下がったときは水道管の一部が凍結した記憶がよみがえり、ので水が使えなくなるかもと考え(炊飯不可になるかもと考え)、少し大きめな鍋に椎茸舞茸しめじほか茸主体で醤油ベースのものを昨夜のうちに用意しておきました。そこにほうとうでなくても貰い物のうどんを放り込む算段を立てて、ご飯を炊くよりいくらかはやく済むしそしてなによりも横着できる!と踏んでいたのです。その時点では。

貰い物のうどんは上州のひもかわという幅広のもので、帰宅していざ封を開けると10分ほど茹でて冷水でしめてくださいと書いてありました。なぜ「ほうとう」と別物のうどんを放り込むだけで良いと前日の夜に思っていたのかおのれのことなのに謎で、事前にチェックしなかったおのれの浅はかを呪っても仕方なく、あわてて台所の蛇口をひねるとまだ水が出ていてそれを奇貨として別途茹で、更に覚悟を決めて(…覚悟を決めて?)冷水でしめ、事前に用意した茸ベースのものに放り込んでいます。

出来そのものは悪くはありませんでした。が、横着しようとして結果的に横着できなかったので下手な考え休むに似たりを地でゆくようなもので、横着は念入りな計画とともにやらないと、というのが今回の教訓です。念入りな計画の横着は果たして横着なのかと云われると立つ瀬がないのですが。

さて、(以前に比べて高層の建物が増えゆるやかな坂道があるので凍結がちょっと怖かったものの)幸いなことに住んでいる街は雪も降らず、台所以外の水道管も凍結は回避出来て無事でいつもどうりの生活が送れています。まだ寒波はしばらく続くっぽいものの(実際現在氷点下1度)、ちょっと忙しい時期に突入してるので、なんとかやり過ごしたい所存です。

井の頭公園の椿

通勤でつかうJRの沿線の吉祥寺にヨドバシがあります。プリンタのインクが切れていて、だったらヨドバシのある吉祥寺へということになりました。ところが実際ヨドバシへ行っていざレジに並んだら入れたつもりのポイントカードが見当たらず。よほど慌てた顔をしてたのか店員さんが「新規に発行してあとで前のカードと合算できますよ」とサジェスチョンしてくれたものの貯まるポイントが1460円の1割146円でなんだかポイント乞食みたいだなと思えて内なる高楊枝を銜えた武士精神が疼いて「あ、ダイジョウブです」と断っています。でもあとから振り返るとなにがダイジョウブなのかさっぱりわかりません。こういうときの咄嗟の一言って難しいですよね…ってそんな話はどうでもよくて。

吉祥寺まで出かけた駄賃代わりに井の頭公園へ。

吉祥寺のある多摩は最高気温がひと桁だったせいもあって人出は少なめ。

これから寒波が来る予報ではあるものの椿(おそらくヤブツバキ)が咲いていました。幸いにして雪は降らない予想ですが、雪を被った椿はちょっと見てみたかったかな、と。146円は惜しくないけど雪を被った椿を見れないのは惜しいかも。

口に出して記憶する方法の弱点

口に出して耳で記憶するということをなんべんかしたことがあります。たぶん以前にも書いてるはずなのですが、百人一首を(50だったかもしくは)30覚えろ、覚えない限り居残りで帰宅できない、というのが10代の頃にあって、おそらくそのときが最初です。定期テストではなくてたしか小テストで、記憶力が良くないのを自覚していたので必死になって意味は後回しにして口にして耳で覚えています。幸いにして居残りは回避できています。いまでもそのときに覚えたものは「逢いみてののちのこころにくらぶればむかしはものを思わざりけり」とかスラスラと口に出すことができます。

ここではてな今週のお題「試験の思い出」を引っ張ると、試験をきっかけに口にして耳で覚えたことはなかなか忘却できないことがあるのではないか、と。

口に出して耳にして記憶する集中力は大学へ行って条文を覚えるときに役に立っていて、重要過ぎて試験には出なかったものの「不動産ニ関スル物権ノ得喪及ヒ変更ハ登記法ノ定ムルニ従ヒ其登記ヲ為スニ非ザレバ之ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」という民法の重要な条文(177条)は大学を出たあともかなりの期間覚えていました。ただしいまはいまは現代語訳化されてるのでこの語句ではありません。

「逢いみてののちのこころにくらぶればむかしはものを思わざりけり」というのを覚えたあと記憶が薄れなかった故に、デート前に勝負パンツを手にあれこれ考えていたときに「パンツごときで以前は物思いにふけらなかったよな」とおのれの変化に気が付き、勝負パンツを手にしてなくても権中納言忠敦は実体験から詠んだのだとしたらと考えると妙に親近感が湧きだし、正直その時点でやっと内容を理解できたと実感できています。試験用の暗記と理解は違うのだということを意識した強烈な体験のひとつです。と、同時に、古典というものがなぜ現代でも読まれ続けてるのか、感覚的に理解できました。その感覚をもっと明確に言語化するには文学部へ行けばよかったのでしょうが、法学部(のあほう学部側)であったので言語化できぬままです…って話がズレた。

最後に大事なことを。記憶力が良くないので語呂で覚えたのものがあります。年号を覚えるのが不得手で、関ヶ原に比べてわかりにくい1582年の本能寺の変を試験対策で「いちごパンツ本能寺」と覚えました。おそらく上手く出来た語呂なので口にしてしまったのだと思われるのですが、いまだに忘れることが出来ていません。百人一首はまだムダな教養のひとつとして役立ちそうではあるものの、この先の人生で本能寺の変の年号を問われる可能性のある試験などあるはずないのでいい加減忘れたいところなのですが、消去の方法が思いつかなかったり。

なので、巻き添えにします。今年の大河の信長公の俳優さんを想起しながら「いちごパンツ本能寺の変」と口にすると本能寺の変の年号はなかなか忘れぬこと請け合いです(なお、ほんとに口にして忘れることが出来なくなっても当方は責任は持てません)。

続・保険金請求の現況

何度か書いていますが10月の下旬、都内の病院の眼科で日帰りの手術をうけました。そしてそれが掛けていたがん保険の医療特約でカバーできるのではないか?とアドバイスを受けたのが11月1日頃です。

保険会社のHPを参照すると特定の手術の場合は病院発行の診療明細書に手術名の記載があればその明細書をスマホで撮影してアップロードすることさえすればデジタルで給付金請求が可能でそれを推奨していたものの、残念ながら病院発行の診療明細書には「手術料」と書いてあるだけで手術名の記載がありませんでした。仕方ないのでHPを通じて給付金の書類の請求をしています。新型コロナ関連の保険請求が増えてて書類の発送までに最低3週かかる旨の注意書きがあり、でもってその書類が来たのが12月1日夜です。翌日夜に給付金請求の書類に記入して返送し、給付金が銀行に振り込まれたのが今月11日で、保険会社のHPでは給付金の請求から手続き完了まで最長1ヶ月半と書かれてたので最長は回避してますが、ほんと請求が殺到してるのか保険会社も大変なようで。

さて、支払いに関する書類と一緒に通院給付金請求の書類が同封されていて、(証書をちゃんと読んでないのがバレバレですが)どうも私は術後の通院にも保障がついてる保険を契約していたようでした。驚愕したのは(保険会社も精査する余裕がないのかどうかまではわかりませんが)通院給付のほうは自己申告のみで領収書のコピー等添付が不要であることです。虚偽のことを書くわけにもゆかず領収書をまとめたものをひっくり返して通院した日を書類に記入しながら、これ、契約者の良心を試してるよなあ、と。

最後にくだらないことを。給付された保険金は想定していたよりちょっと多めで、手術費用以外もある程度カバーできています。正直、金額を目にしたとき、申し訳なさを含めた「え、こんなに貰っていいの?」感がありました。でも数分後には掛け金払ってるんだし…と冷静になっています。でもって、人って予想外の金額を前にすると、動揺しませんかね。しないかもですが。

「直情的」雑感

社会人になって最初、大阪に放り込まれています。直属の上司ではないのだけど職場にAさんという先輩が居ました。比較的怒りっぽい人で、たぶん何度か書いてるかもしれないのですが「おつかれさまです」という挨拶に虫の居所が悪かったのか「あんな、まだわたし仕事あんねん」と怒鳴られたことがあります。後で別の人から「お前は悪くない」とフォローを受けたものの、じゃあどういう挨拶がよいのかは謎でいまだに答えは出ていません…っておのれの若き日の謎を解きたいわけでは無くて。怒鳴るという直情的な行為は決して事態を解決に導くわけではないのでは?と考える切っ掛けになった体験のひとつです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

15日付の毎日新聞ラサール石井さんがインタビューにこたえていて、「いつの間にか世の中が右に」という見出しがあり、似たようなことをなんとなく感じていたので、読んでしまっています。話がさらにズレて恐縮なのですが、SNSなどでラサール石井さんに対してラサール石井さんから見て直情的に批判したい人が居るという趣旨の発言があってその「直情的」という言葉が印象にかなり残りました。直情的というのは癇癪もちとかを連想させるあんまり良い言葉ではないし、直情的と判断されることを避ける風潮がなかったわけではないはずです。少なくとも私は上記の経験などから事態の改善にちっともつながりそうにないと思ってるので直情的に云うということを避けているのですが…って私のことは置いておくとして。

他人に対して直情的に文字にしてなにか言うということに関して、もしくは、直情的に見られることに関して、忌避が無くなったのだとすれば、それはどうしてなのだろう、ということを記事を読んでて考えていたのですが、もちろん答えはでそうにありません。もしかしたらこの設題すら間違ってるかもしれません。

ここから先はあてずっぽうです。

実は「エモい」という言葉が気になっています。以前エモい中年という言葉を目にしてどういう意味か取れずにいて「ああおれナウいヤングだからわかんなくてもいいや」と考えいたのですが…って話がズレた…話を戻すと、しばらく注視してると情動のようなものを「なにが」「どのように」と細分化しないで良い方向に評価する意味で「エモい」は使われてて、厄介なのは「なにが」「どのように」良いという他人への説明が無くても、つまり語彙がそれほどなくても、「エモい」という感覚を共有してる人の間では成立してしまうところです。「なにが」「どのように」というのを他人にわかるように具体的に脳内で考えないまま情動を文字に載せてしまうことに慣れてしまうと、自らの感情をそのままにつまり直情的なことを文字にのせることに躊躇がなくなるのかなあ、と想像します。それが直情的な発言への忌避がなくなりつつある現況と関係ありそうな気がしないでもないのです。ただこの穴のある自説があってる自信はありません。

若いときに刻まれた記憶というのはなかなか薄れないので、なるべく直情的になるのは避けるつもりではいます。とはいうものの、豆腐の封が巧く剥がせなくて口にはしてませんが「ああああああああっもう!」となってしまっています。それじゃダメじゃん