非マヨラーから見たマヨネーズが必須の世界の居心地の悪さ

皮つきじゃがいもをゆでて(もしくは水に濡らしたジャガイモを電子レンジで加熱でもいいんすが)皮をむいてマッシュにし、カレー粉とマヨネーズと若干のバターと、最後に細かく切ったタマネギのフライを混ぜるというのをわりとやります。しかしキューピーに暗殺されそうなことを書くとそれ以外にマヨネーズというのをあまり使いません。いつもわりと小さい容量のものを買います。あまり大きな声では言えませんが、マヨネーズは食べれないことはないのですがどちらかというと苦手なもののひとつです。

お好み焼きにマヨネーズをかけることがありますが、出来ることならかけたくはありません。大阪でおそるおそる「マヨネーズ抜きでお願いします」といったときに「え?」という顔をされたときの経験が25年以上経過した今でもいまだに忘れられません。言葉は発していませんがその顔は雄弁で、マヨネーズが必須と思ってる人の前ではマヨネーズ抜きで注文するとえらいことになると悟りました。確かにマヨネーズを加えることによって焦げたソースの刺激がやわらいで味はマイルドになりますし、ソースの上に細いマヨネーズで線を描くのは見た目の点からしても重要のはずです。理解できなくもないですが、苦手なものは苦手で、そのときは我を通しています。もちろん相手はプロだったのでちゃんと作ってはもらえたのですが、その店には再度足を踏み入れることをしていませんし、以降、争い(…争い?)は避けたいので大阪式でマヨネーズ抜きという注文もしたことはありません。仮にマヨネーズがかかっていても食べれないことはないので我慢して食べます。

話をずらすと広島でもマヨネーズ抜き頼んだことがあります。そのときは、東京から来たの?広島ははじめて?あのね、なにを入れてもいいしなにを引いてもいいの、だからお好み焼きっていう、と説明を受けました。以降どちらかというと広島派です…ってお好み焼きの話をしたいわけではなくて。

はてな今週のお題「わたしは○○ナー」を引っ張ります。私はお好み焼き屋での件があってからあまり表立って主張はしていない穏健派非マヨラーです。しかしお好み焼き以外のたこ焼きにマヨネーズとか焼きそばにマヨネーズという昨今の趨勢を鑑みると、世の中マヨネーズ好きのマヨラーに世の中が乗っ取られるのではという危機意識がないわけではありません。なので非マヨラーは一致団結してマヨラーと闘争をすべき時期に来てるのでは…って半分冗談で書いて気が付いたのですが浸透具合を眺める限り、冗談抜きで非マヨラーってそれほど多くはないのかも。それじゃダメじゃん

(ほんとはくだないことではないのですが)くだらぬことは横に置いておくとして、食の場面でもマヨネーズに限らず少数派への多少の配慮がある世の中になればいいな、というのはあるのですが。

棒が折れた喪失感(もしくはべったらのこと)

日本橋小伝馬町駅の近くに宝田恵比寿という吹けば飛ぶような小さな神社があります。神無月でありながら恵比寿様は留守役とされててそこに居ることになってて、日本橋の一部では十月のこの時期に祭礼を行っています。行っていますって書きましたが一昨年は中止で去年は参拝のみで、やっと今年になって復活しました。その宝田恵比寿の祭礼で売られてるのがべったらで、正直それが有名なので「べったら市」とも称されます。祭礼に合わせてべったら市も復活しています。

べったらそのものは独特の甘い香りのする甘い大根の漬物で、漬物のくせして日持ちしないので厚く切るのが伝統です。地域の氏子ではないものの、子供のころから慣れ親しんだ食べ物で、個人的にはとても好きなのですが上を通過する人は「よく喰うねそんなもの」と手厳しい評価なので正直万人受けするとは限らないです。「美味しい」というのはこれが良いという思い込みと経験によるのではないかと仮説を持っているのですが、その思い込みと経験のせいだとしても、べったらは誰が何と言おうと私にとっては「美味しい」部類に入ります。

さて、毎年同じ店でべったらを買っていました。小さいころから行っていたところで今年もそこで買おうとしたら建物自体が消えて更地になってて、思わず「え?」と声が出ています。近くにいた町会の方に消息を尋ねたのですがわからぬようで、やむを得ず別の店で買いました。去年今年つらぬく棒の如きものってのがありましたけど、折れると思わなかった棒が折れたのを目撃しちまった気がしてならず、祭礼の復活はめでたいものの、小伝馬町の駅へ向かうまでしばらく小さな喪失感がありました。

たかが漬物なのですが、なんだろ、味覚もしくは嗅覚に関することって変に感傷的になることありませんかね。ないかもですが。

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』3話を視聴して(自分にとって都合の良い情報を好み信じ込むようになる心理について)

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』3話を視聴しました。はてなにはアニメに詳しい人が沢山いて、それほど詳しくないのがいちいちここで書くことにどれだけの意味があるのかわかりませんが、書かず放置するのがなんだかもったいない気がするので書きます。

若干のネタバレをお許し願いたいのですが、3話では桜井先輩と宇崎ちゃんが学祭で占いの鑑定を受けることがメインです。その占いについては是非原作かアニメで詳細を確認していただきたいのですが、その占いの結果について知ってしまった桜井先輩は動揺を隠せず数日引き摺り、やがて克服します。一方宇崎ちゃんは「占いなんかは遊びみたいなものですから」といい、占いの結果を知っても表面上は平静を保つものの、宇崎ちゃんにとっては決して悪いものではなかったがゆえに好意的に解釈し、桜井先輩とは逆に数日後には(物語の中の言葉を引用すれば)「片寄った思考は片寄った情報を栄養にして、やがて暴走をはじめ」ます。どのように暴走したかや桜井先輩と宇崎ちゃんがどうなったかはやはり原作かアニメをご覧いただきたいのですが。

作中、自分にとって都合の良い情報を好み信じ込むようになる心理についても語られています。宇崎ちゃんはまさにそれです。心底「あはは」と笑えればよいのですが、今回の話は繰り返しますが占いに紐付けられています。フィクションにのせてあるとはいえ、占いについてそれが吉兆であれ凶兆であれそれをどこか信じてしまう人の背中をぐさりと刺しにいってるわけで、視聴している時点で度の高い焼酎を呑んだヒリヒリ感がありました。

以下どうでもよいこと、かつ、きわめて個人的な感想を。

領収書などを含め金額に関してカンマの桁区切りを打つ習慣は社会人になるまで知りませんでした。金銭を扱う方面に異動になったとき、チェックするとき視易いから絶対打てと口酸っぱく指導を受け、以降カンマの桁区切りをするようになっています。とはいうものの忘れそうになることがないわけではありません。そういうところについて、血液型占いでB型は雑というのを知って以来、なにぶんB型なので…って血液型のせいにしたくなることがないわけではありません。そういう自覚があるので、自分にとって都合の良い情報を好み信じ込むという点については宇崎ちゃんを腹から笑えるかといったらそれほどでもなく苦笑いしつつ、視聴しながら刺された感覚がありました。

いやアニメをそんなふうに見ないだろ?といわれるとキツいので、このへんで。

カバンの中の予備のマスク

ウレタンマスクをしていた頃に外で耳にひっかける紐がブチっと切れてしまったことがあります。ウレタンという素材がそんなに簡単に切れるとは思っていなかったのでちょっと動揺しつつ、待ち合わせの約束の時間までそれほどないので買いにも行けず、切れた部分を結んで中心線が右に寄ってしまったマスクでその場にしばらく居ました。今週のお題「カバンの中身」を引っ張るとその経験から外出する時のカバンには未使用の個包装された予備のマスクを必ず一つ入れるようになりました。もちろんいまは不織布のやつです。

先週江島神社へ行った際に(一応屋外はマスク不要と知りつつも参道は混んでるのが予想できたのでマスクをしていて)水分補給をしようとして片耳に掛けたマスクが落ち、それを拾いそこね、しかしそのとき3秒以内に拾ったから無問題という「3秒ルール」が発動されかけ汚れてないしダイジョウブだろと目の前で再装用しようとしたので窘めて未使用の予備マスクを活用しています。予備マスクは滅多に出番はありません。でもたまに出番があるのでカバンからは外せずにいます。

くだらないことを書くと3秒ルールの3秒ってどこから来たのか謎です。じわじわっと浸透するのに3秒かかる、という考え方なのか。不思議なのは海の向こうだと5秒であることで、日本はせっかちなのかもしれないのですが。

話を戻すと、今朝(16日付け)の毎日新聞には尾身先生のインタビューが載っていてマスクを外すことに関して「感染しても重症化を防ぐ薬に安価で簡単にアクセスできることが一つの条件になるかも」と述べていて、だとするとまだしばらく予備のマスクは入れっぱなしになりそうなのですが。

朝の上り電車の中で

出勤するときに途中までJRを使います。いつもよりちょっと早めに出たのですが、隣の駅から盲導犬を連れた方が乗ってきました。人が多くても威嚇もしません。しかし駅に止まるごとにちょっとずつ人は増えてきます。そうすると自然と盲導犬との距離も近づいてきて、(私は乗務員室の壁に立っていたのですが)ほぼ3センチくらいの距離にまでなってました。急に減速すると踏ん張らないと足を踏んでしまいそうで怖かったのですが、ふと周囲を見るとみんな盲導犬をちらっちらっとみていて、やはりみんな不用意にぶつからぬように・足を踏まぬように、気を付けているのがなんとなくわかりました。ほんと見えぬバリアが出来ているかのようで。

なぜそうしたのかはわからぬのですが盲導犬はいくらか向きを変え、尻尾をこちらに向けてきました。尻尾が無いので尻尾に不意にぶつかるのがどういうことかわかりませんから、ぶつからぬように気をつけよう…と思ってた矢先、弁慶の泣き所に不思議な触感がありました。尻尾を不意に左右に振りだしてそれが弁慶の泣き所に当たってるのです。左右に人が居て壁際なのでさらに後ろに移動できず逃げ道がなく、向こうが触ってくるのだし不可抗力だし、そもそも尻尾を振るのはリラックスしてるときというのを読んだ記憶があって、なので事を荒立てるのは得策ではないと考えて、されるがままにしばらく耐えて(?)ました。近くに居た学生がいいなあという顔をしていたのが見えたのですが、代わるのも変だし、なので、一駅間ほどそのまま。

私が地下鉄に乗り換える駅より手前で彼らは降りて行ったのですが、毛がついていたわけでもないのでなんの問題もありません。ただ、足や尻尾を踏まずに済んで正直少しだけホッとしたことを白状します。でもって、こちらから触れるのではなく向こうから触れてくるのは問題なさそうなのも今回知りました。

盲導犬があたりまえになる世の中の方が良いと以前から思いつつも、足や尻尾に気をつけることまでは思い至りませんでした。なんだろ、実際に直面して気が付くことってあるのだな、と。

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』の第2話を視聴して(言葉は発話後受け取った側によって変化しちまう問題)

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』の第2話を視聴しました。それをいちいち報告する必要性があるのかといえば怪しいのですが、なにも書かないのももったいないので書きます。

幾ばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、主人公である宇崎ちゃんと桜井先輩は元水泳部ガチ勢で、桜井先輩が泳ぎに行くと後輩である宇崎ちゃんもついてゆくような仲で、2話では2人のプールでの描写があります。桜井先輩はバイト先の先輩である亜細さんに女性の水着について誉めることを過去にアドバイスされていて、ふとそれを思い出して「今日の水着はかわいいな」と泳いだあとについでに口にします。桜井先輩は亜細さんに奨められたゆえの行動で、明らかについでであるものの、素の桜井先輩がほぼ云いそうにない言葉であるにもかかわらず宇崎ちゃんはその言葉を都合よく好意的に解釈し、別の褒められそうな水着を探そうとします。桜井先輩も悪くないし宇崎ちゃんも悪くないのです。発した言葉は発した側の意図と関係なく受け取る側の解釈によって別の意味がつけられ変化しちまうのを最初のほうで巧く浮かび上がらせていました。

さて、桜井先輩は以前、宇崎邸で宇崎ちゃん母に挨拶しつつ視線は宇崎ちゃん母のひざの上の猫にロックオンしつつ「触りたい」とつぶやいてしまいます。それを聞いた宇崎ちゃん母がどうしたかは1期をご覧いただくとして(9話「宇崎月はときめきたい」)、桜井先輩と面識のある宇崎ちゃん母が2話で出てきました。最近大学で桜井先輩との動画を撮られたことやそのときに桜井先輩がなかなか離してくれなかったことを言葉足らずながら宇崎ちゃんは告白し、宇崎ちゃん母は宇崎ちゃんの言葉が足らない部分を脳内で補完してしまい結果としてショックを受けます。繰り返しますが発した言葉は発した側の意図と関係なく受け取る側の解釈によって意味が変化することはありますし、また言葉として発されなかった部分を前後の文脈から脳内で補完してしまうことはそれほど変なことではありません。誰も悪くないのです。2話では脳内補完がからんでしまう言葉による意思の疎通の難しさも巧く浮かび上がらせていました。

なぜそうなったかは本作をご覧いただきたいのですが、宇崎邸には結果的に桜井先輩手製のうどんが大量に発生します。宇崎ちゃんは弟に「先輩が作ってくれた」と述べるのですが、宇崎ちゃん弟はそれを宇崎ちゃんと同じ女子大生の作ってくれたものと受け取り喜んで食します。ここでも宇崎ちゃんは間違ったことは言っていません。でもって、ここでも受け取った方は勝手に脳内で補完しちまい宇崎ちゃん弟は発話者の意図と異なる解釈をしちまいます。誰も悪くはありません。

言語による意思疎通の難しさというのが『宇崎ちゃんは遊びたい!』に伏流水のように流れててふとした拍子に顔を出すのですが、2話はそれが強かった気が。傍観者的にはコメディに見えますがおそらく宇崎家だけの問題かというとそうではなくて、キレイな日本語なんて幻想だと思うのですが我々は不完全な日本語を使ってるはずで、誰にでも起きうることのはずではないかな、と。

以下、くだらないことを。いや、くだらなくはないのですが。

2話では桜井先輩と宇崎ちゃんの年齢が逆だったら?という妄想を宇崎ちゃんがします。後輩をかまってあげる先輩であろうとするのですがこじれてしまい挙句の果てに逆上してヘッドロックかまします。後輩設定の桜井くんは胸があたるので本気で嫌がり宇崎先輩はサービスタイムだと叫ぶものの、逆上するとサービスタイムというものになる理屈が不明です。形式上はセクハラなんすけど、ああセクハラというのはたしかに理屈がないよな、というのを今更ながら改めて理解した気が。

私が書くと『宇崎ちゃんは遊びたい』は言葉の伝わらなさの問題になってくるのですが、なんだろ、そもそも原作者の意図を理解してるとは限らないのでイチマツ模様の不安があります。加えてアニメとかマンガの感想をどう書けばよいかわかってないのでこのへんで。

江ノ島へ

のどの痛みと発熱があって先月に発熱外来を受診しています。不織布マスクはもちろんのこと手洗いも励行していたにもかかわらず「どこで貰っちまったのかな?」とか文字通りの濃厚接触者に「感染させちまったかな」とかそのときは考えちまってて、PCR検査で陰性で無問題だったものの、結果が判るまでさすがにいくらか動揺していました。

いまの段階で第七波が過ぎ去ったと考えてよいのかいまいち判断がつきかねるものの、感染は回避しつつも上記のような動揺を経験したせいか「なんとか第七波を切り抜けたのかな」感が体感としてはあります。シラスを食べたかったというのもあるのですが、第七波の直前に行った江島神社へ切り抜けた御礼参りをしてきました。

連休であったせいもあるのですが辺津宮はそこそこ参拝客がいて、ついでに書いておくと無病息災を願う茅の輪くぐりもまだあってそれも順番待ちの列がありました。完全に終息したわけではありませんからわからないでもないです。科学的にみれば茅の輪くぐりでなんとかなることはないと知りつつ、4回目のワクチンがまだなので・いつ接種できるかの見通しがまだつかないので、茅の輪くぐりの順番の列に加わっています。

奥津宮へ向かう参道には「鎌倉殿の13人」に出てきた藤沢市非公認の江ノ島さんぽちゃんが横倒しになっていて…じゃねえ

奥津宮へ向かう参道には「鎌倉殿の13人」に出てきた時政公推しの藤沢市公認の旗がまだあります。

報道を眺めてると陰陰滅滅としてくるので第七波でも意図的にフィクションに触れていて「鎌倉殿の13人」も視聴していたのですが、簡単な日本史は知っていますから最後は追放されるはずの時政公の描き方をどうするのかがずっと気になっていました。実際には、ズルをする後白河法皇をズルはいけませんぞと諫める性格でありつつも奥さんに唆されて動いてしまうどこか弱さがあり、主体性があるようでなく、それでいてどこか憎めないように描かれてて、「ああなるほど」と思わされ同時になぜか安堵しています。でもって、藤沢市は事前に史実以上の詳細なストーリーを知っていたのかな?と。北条時政江島神社が縁が深いというのはあるにせよ、知らないで時政公推しをやってたらマジ博奕だったはず…って、くだらない話はともかく。

山二つというところで南の海を眺めつつ「なんだか雨が降りだしそうな天気だ」などと見たままの呑気と云っていたのですが、ここで折りたたみの傘を持ってきていないことが判明。辺津宮の門前まで戻れば傘は買えるもののそれはせず、降らないほうにほうに賭けることに。

若干のスリルも味わいつつ、シラスを食べて藤沢にお金を落としてきました。