棒が折れた喪失感(もしくはべったらのこと)

日本橋小伝馬町駅の近くに宝田恵比寿という吹けば飛ぶような小さな神社があります。神無月でありながら恵比寿様は留守役とされててそこに居ることになってて、日本橋の一部では十月のこの時期に祭礼を行っています。行っていますって書きましたが一昨年は中止で去年は参拝のみで、やっと今年になって復活しました。その宝田恵比寿の祭礼で売られてるのがべったらで、正直それが有名なので「べったら市」とも称されます。祭礼に合わせてべったら市も復活しています。

べったらそのものは独特の甘い香りのする甘い大根の漬物で、漬物のくせして日持ちしないので厚く切るのが伝統です。地域の氏子ではないものの、子供のころから慣れ親しんだ食べ物で、個人的にはとても好きなのですが上を通過する人は「よく喰うねそんなもの」と手厳しい評価なので正直万人受けするとは限らないです。「美味しい」というのはこれが良いという思い込みと経験によるのではないかと仮説を持っているのですが、その思い込みと経験のせいだとしても、べったらは誰が何と言おうと私にとっては「美味しい」部類に入ります。

さて、毎年同じ店でべったらを買っていました。小さいころから行っていたところで今年もそこで買おうとしたら建物自体が消えて更地になってて、思わず「え?」と声が出ています。近くにいた町会の方に消息を尋ねたのですがわからぬようで、やむを得ず別の店で買いました。去年今年つらぬく棒の如きものってのがありましたけど、折れると思わなかった棒が折れたのを目撃しちまった気がしてならず、祭礼の復活はめでたいものの、小伝馬町の駅へ向かうまでしばらく小さな喪失感がありました。

たかが漬物なのですが、なんだろ、味覚もしくは嗅覚に関することって変に感傷的になることありませんかね。ないかもですが。