団扇もしくは膝にあてる風について

「手袋の左ばかりになりにける」

という俳句が子規にあります。手袋が片方だけになるというのは焦りとともに身に覚えのあることで、子規の句のいくつかは付随して身体の感覚を想起させるものがあって、俳句に詳しくない私でも妙に腑に落ちるものがあります。他にも

「よき風を膝にまとめし団扇哉」

というのがあります。読んでなんとなく想像できて、試してみようと風呂上りに膝に団扇で風を当てたことがあります。実際、膝に団扇で微風でも当てると膝にあたったあとに上(腿から股間にかけて)と下(弁慶の泣き所)に流れ、ああこれが良き風か、これは誰かに教えたくなって俳句にするのわかるな…と妙に印象に残っています。

でもなんですが。

その実験の光景と、風が身体に沿って流れる感覚はしっかり記憶してるのですが、どの本でその句を読んだかが記憶があいまいです。なので(実は)手袋の句もそうなのですが同様に出典がわかりません。拙い記憶が頼りで子規かどうかもほんとは怪しいです。それじゃダメじゃん

残念ながら東京は日によっては暑くなりつつあって、はてな今週のお題が「夏物出し」なのですが、既に扇風機を出しています。風呂上りに稼働するのですけど、扇風機の前で涼んでいるのを眺めてると、膝に風を当てたほうがよいのでは?とお節介をしたくなります。が、股間に直接風を当てたくなる気持ちもわからないでもないので黙っています。私は風呂上りにまず膝に弱風を当てるのですが、もしかしたら少数派かもしれません。

夏物ついでにもうひとつ。ちゃんとした扇子のほかに、何年も前にタダで配布していた小田急の団扇を捨てずに持っています。311の直後輪番停電は春で終わったもののその後あちこちで地震や台風などで真夏に停電になり停電になったら扇風機もクーラーも使えないことに思い至り、捨てないほうが良いのかも?と温存しています。残念ながら今年の夏は電力需給がひっ迫するかもしれぬという報道がありました。万一の時は団扇で膝を扇ぐ予定です。つかう機会が無い方がよいのですが。

微妙な悔しさ

噴飯ものだと内心思ってるもののひとつに「B型は猫っぽい」という説があります。私はB型で、否定する論拠を集めようとするのですが、残念ながら巧くいっていません。

いつものように話が横に素っ飛びます。

いま数字の間違いを見つけたら指摘しなくてはならない立場にいます。今週、同じ資料を見て貰いつつ社外のその書類を作成した担当の方に間違いを指摘すると電話口の向こうから小さな驚嘆のあとかすかな嘆息の声が聞こえました。いままで担当していた人が異動で居なくなり引継ぎが完全ではない状態でその任務にあたってると以前聞いていたので若干の同情が脳内にあってその上で修正と対応という負担を増やす申し訳なさがあって、修正と対応をお願いするこちらが「申し訳ないのですが…」と続けて口走っていました。あとで冷静に考えたらこちらはちっとも申し訳なくないのですが。

猫は思ってることと違う表情が咄嗟に出来ないと言いますが、思ってることと違うことを咄嗟に口にできぬ点で、私はやはり猫並みかもしれにゃくて、B型猫説を今回も自らの行動で補強してしまったようで微妙に悔しいです。

 

伊賀上野へ

週末に奈良へ行っていました。東京から奈良へ往復しようとすると新幹線京都経由で近鉄というのがまず思い浮かびます。でも「往復同じではつまらない」という理由になってない理由で今回は復路を伊賀市経由にしました。いままで伊賀に縁が無く忍者の里という以外ほぼ無知に近いまま寄り道しています…って前書きはともかく。

伊賀市には上野城というお城があります。藤堂高虎が拡張しようとしつつ果たせず江戸期は未完成のままで、いまある天守閣は昭和初期に建てられたもので、天守閣内は資料館になっています。

緑豊かな城内でわりと目を引くのが石垣です。反りが無く、急勾配で人為的な線でストンと行き、かつ、よじ登るのが難しそうな石垣です。

西側には高低差30m程度の高石垣(と俗に呼ばれるもの)があります。藤堂高虎時代に作られたものでやはり反りが無く急勾配で堀までストンと行く印象です。西には大阪がありますからどういう性格のものか、何を目的に作られたのか、なんとなく想像できます。

天守閣内の資料館で知ったことの受け売りなのですけど、幕末に伊賀を震源とする大地震が起き城内にも城下にも当然被害が出たのですが、当時作成された被害図を眺めると興味深いことに高石垣はあまり被害が出ていません。大坂の陣があった慶長年間には地震は頻発してますから基礎工事を念には念を入れ施工した可能性もありますが、いずれにせよ当時の土木技術がかなり優れたものであったのかなあ、と。

煙とナントカは高いところに登りたがるといいますが、天守閣から伊賀の街並みも眺めてきました。

他に城内にあるのが忍者屋敷です。忍者屋敷が城内になんであるの?とか、そういう不粋なことは横に置いておくとして。

忍者屋敷では忍者の格好をした職員さんが丁寧に屋敷内を案内してくれます。たとえば暗いところから明るいところは見えるけど明るいところから暗いところは見えないことを利用して忍者が偵察していたことを含め、忍者が一般的にどういう活動をしていたか、などです。正確には「忍者がどういう活動をしてたかわかる屋敷」のほうが近いかも。

壁のように見せかけておいて板の真ん中に軸を通して板を回転できるようにして、それを利用して身を隠すことができるようになってるいわゆる「どんでん返し」なんですけど、けっこう音がします。決してこっそりとはできません。実用的でもないような。ただ、板の真ん中に軸を通して回転できるように工夫した着想は非凡だよなあ、と。

実用的ものっぽいものでは、床板を即外せるようにして隠していた刀を即取り出せるようになってる仕組みがありました(是非機会があったら現地でご確認いただきたいのですがほんとに早技だった)。また濡れ縁の板を外すとそこが格納庫になってて、重要な書物を釜や壺に入れ砂などをかけて格納庫に入れ火事に備えてた、というのも興味深かったです。いまでも消火砂は利用されてますが砂が火に強いという知見は忍者の時代からあったんだなあ、と。

なお資料館も併設されていて、そこでは最新の研究の結果も反映されていました。(それ、ハットリくんの影響だろとツッコミを受けたのですけど)忍者というと手裏剣を早技で投げるイメージがあるのですが実際に投げる際には石の礫を多用していたようで。手裏剣を多数持ってたら重いはずで、理屈はわかるのですがなんだかちょっと(もう夢見る年頃ではありませんがいくらか)夢が壊れています。

忍者とは関係ないことを書いておくと屋根の上にあわびの貝殻っぽいのが散らしてありました。職員の方に質問すると答えてくださったのですが、(あわびが海のものゆえの)防火のおまじないと、屋根材目当てに来る鳥があわびの貝殻を苦手とすることから鳥除けなのだそうで。あわびの貝殻にそんな効能があるのを知らなかったのでやはり興味深かったです。

さて、伊賀市はガチで忍者推しで

あちこちに忍者がいます。コインロッカーや

市内を走る電車の網棚の上にも。

(おそらく貸しコスプレ店があるっぽいのですが)忍者コスプレをしてる人もいて、最初はそれを目撃してびっくりしましたが次第に慣れました。伊賀市は良い意味でちょっと変で、興味深くて時間泥棒的なところでした。

城下町の和菓子屋さんの横でネコに突進されかけましたが、たぶんそれ以外は平和な街の、はず。

高い買い物

カタカナ語が苦手なので滅多に使わない言葉に「コスパ」というのがあります。コストパフォーマンスという言葉を略してコスパらしいのですが、漢字で書けば費用対効果です。もっと砕けて言えば「かけた費用がどれだけ効果にあらわれてるか」なんすが、そんなこといちいち気にしてたらキリがないです。仮に勝負パンツを買ったとして、それが効果を発揮する場面があったとして、上から揉まれたら場合は「効果あり」かもしれません。が、しかし脱げず(もしくは脱がしてもらえず)にそのまま帰れない程度に汚してしまったら(よいこのみんなはわかんなくていいです)、より費用はかかっちまうわけでこういう場合コスパは良いといえるんでしょうか…って、話がズレた。

私は靴は27.5から28あたりが欲しいのですが、住んでる街のヨーカドーなどを含め店によっては在庫がありません。靴の問屋街になってる浅草や、多摩だと大きめの専門店がある吉祥寺へ買いに出ています。めんどくさいといえばめんどくさくて、いくらか金銭的な余裕が出来たとき、このめんどくささはオーダーメイドの靴を作れば解決するのではないか?一時的に高くついても何年も持てば良いのではないか?と考えて、足を採寸して作ってくれる靴屋に依頼してます。ところが出来上がった靴を引き取りに行ったら私の靴は見るからに高そうな箱に入っていて、ビビりながら受け取り、自宅へ持ち帰って眺めたら使うのがなんだか惜しくなってきちまってます。かといって履かずに飾っておくわけにもいきませんし、「バカの大足間抜けの小足中途半端なろくでなし」っていう言葉があって使わなかったら大足族がバカであることの証明になってしまいかねません。とはいうものの、雨の日だとか雪が解けて泥が道路に残ってるときなどはなんとなく履く気にはなれなかったりで、稼働率は高くありません。はてな今週のお題が「人生で一番高い買い物」なのですが、コスパの悪さからゆくとこのオーダーメイドの靴がいまのところたぶん筆頭です。なお、靴屋の名誉のために申し添えると履き心地は抜群で、後悔はまったくしていません。

最後に役に立ちそうな真面目なことを書きます。人生で一番高い(ところで)買い物をしたのは吉田口五合目で、確かアクエリアスが200円した記憶があります。コスパを考えるとオギノのある河口湖で買われた方が良いかもしれません。でも個人的経験からすると200円出して買った記憶が残ったのでやはり後悔はまったくしていません。

なんだろ、ここまで書いて気が付いたのですけど、高い買い物ばかりしてる気がしないでもないですが、おおむねハッピーです。

壊してしまったメガネ

普段は出勤して帰宅するまでコンタクトレンズを装用してますが、起床直後や風呂上り、風の強い日などはメガネです。小さい頃に買ってもらったメガネでぼんやりした世界からクリアな世界を手に入れたこともあって、ズボラなほうですがメガネを踏んづけたことはいちどもありません。わが人生、冗談抜きでメガネをほんと丁寧に扱ってきました。

きましたって過去形で書いたのにはわけがあって。

昨夜レンズの汚れが気になったのでメガネ拭きで拭いていたら、雑に扱ったつもりはないのにふとした拍子にレンズがフレームからぽろっと外れました。声に出しはしなかったものの、え、うそうそ…と(正直、初体験だったので)動揺しながら外れたレンズをフレームに戻すと再び嵌っています。ヨカッタと安堵しつつも、フレームからレンズが外れたときの眼鏡拭き越しの感触と脳内に残ってる絵柄が生々しく(翌日になってもその感触の記憶が消えない)、メガネを装用して出勤したときにレンズが外れたらマンガだよな、と妙な心配が。

買ったのが6年以上前で、そのときは即作ってくれると話題の格安店で(即は作れなかったのだけど安く)作っていて、そろそろ限界かもしれぬとさすがに観念し、視力の測定が苦手なのですが覚悟を決めて新しいのを作る予定です。

くだらないことを書くと、身に着けていたものを壊してしまうと、それがたとえ安物であっても妙に寂しくなりませんかね。ないかもですが。

(円安状況下における)賢くない選択

私は子供のころからコーヒーというと粉のやつで、かつ、キリマンジャロで育ってきていて、よくあるインスタントコーヒーがどうしても舌が合わずまず飲めません。「違いのわかる男」というキャッチフレーズで販促されたインスタントコーヒーがダメな現況を鑑みると、私はおそらく違いがわからない舌がダメなやつである可能性が高いです。そこらへんから出発して「美味しい」というのはなんなのか?をずっと考えているのですが、答えはありません。ただ、自らの経験から「美味しい」というのはその味に対しての慣れと良いという記憶と思い込みなのではあるまいか、という仮説を持っています。もっともその仮説を証明するのは難しいのですが…ってそんな話はどうでもよくて。

コーヒーは毎朝必ず飲みます。常備してるのはやはり粉のキリマンジャロのコーヒーで、タンザニア産です。ここのところの円安のせいかいつも買う店では先月に比べておそらく60円弱ほど高くなっていました。円安になると輸入品の値段が上がるというのは理屈ではわかっているものの、やはり目にすると一瞬「どうしようかな」と迷ったのですが、手が出せないほどではないので買っています。

円安の副作用(といっていいのかどうかわからないけどともかく悪影響)を実感してしまっていまより円安になるようだったら次回からこだわらずに安い値段のコーヒーに変えようか…と買ったあといくらか弱音になったものの、舌が慣れてて自らが「美味しい」と思えるものを変えるのはやはり抵抗があります。賢くない選択と理解しつつも優雅な朝は代え難いので(アリとキリギリスだったらキリギリス化してる自覚はあるのですが)、いましばらくコーヒーは妥協しない予定です。

「投げる」もしくは「逃げる」

去春から断続的に網野善彦さんという2004年に亡くなった日本史の歴史家の著作を追っています。恥ずかしながらまだすべては追えていません。追っていて印象に残ってるのが飛礫の話です。最近読んでいる西洋中世史家の阿部謹也さんとの対談本『中世の再発見』(網野善彦阿部謹也平凡社ライブラリー・1994)では網野さんのペルー訪問から話がはじまってるのですが(この本、売買や贈与や追奪担保責任の話などが出て来てまだ途中ですが元法学部生としてはすごく興味深い本で…ってそれは横に置いておくとして)、ペルーでも祭りのときに飛礫があったことを(P46)述べています。付随して阿部さんはティル・オイレンシュピーゲルの話の中に街中に小石を撒いた話などを述べているのですが(P52)、人類はほんとにあちこちで石を投げてるのだなあ、と思い知らされています。

なぜ人は石を投げるのか?という読んでいるこちらの素朴な疑問の直球の解答は明文では明らかにされていませんが(それはつまり日本や欧州の中世の人の考えをいまいち理解できていないことでもあるのですが)、藤原道長が叡山で飛び礫にあってしまった事例を上げながら当たった方が慎まねばならなかったこと(P66)や祇園会(=祇園祭)のときに飛び礫を北条泰時がやめさせようとしたところ飢饉が起きたのだという風評が立ってしまったこと(P58)を網野さんが、また特別の事情があって不慮の死を遂げた人の墓を通る前には石を投げる英独の風習などを阿部さんが述べていて(P52)、やはり石を投げる行為(もしくはそれから逃げる行為)になんらかの意味を込めていたのは確かなようで。

話はいつものように横に素っ飛びます。

さすがに石は誰かに投げたことはありません。しかし、読んでいて、学生時代の時などにドッジボールなどで当たらぬように機敏に逃げ回り続けて生き残った級友を見て単に逃げてるだけにもかかわらず、すげー、と思った記憶が蘇っています。なぜそう思ったか。逃げること以外考えてない・裏表のないことが行動から丸見えになったからです。遊びでの野球にしても内心はどうやって打ち取るかしか考えずに投げていました。それらのことから「投げられたものから逃げること」や「投げること」はもしかしたら人の裏表を無くして雑念が介在しにくい状態になる稀有な行為なのだろうか、などと思考が謎発展しています。雑念の介在しにくいそれらの行為がそのうち宗教的な意味合いや呪術的な意味あいすら持つようになったのかな、と。人力詮索が散らかるばかりで結論じみたものも無いのですが。

いまは投げるといったってちょっと遠くからゴミ箱めがけて横着して「外れるな」と念じて投げるくらいしかしません…ってここまで真面目に書いたのに最後に不真面目なこと書いたら、それじゃダメじゃん

はてな今週のお題が「何して遊んだ?」なのですが、本に書かれた一見すると遊びっぽいものの記述が、おのれの過去の遊びの記憶と結びついて、錯覚かもしれぬものの線のようにつながることってないですかね。ないかもですが。