芋酒のこと(もしくは山芋を前にした臆病者の話)

はてな今週のお題の「いも」を引っ張ります。

浅草線の浅草駅からそう遠くないところに麦飯に山芋をすったとろろ汁をかける「麦とろ」を出すお店があります。山芋は消化機能が落ちたりしたときに良いとは聞いていて、いちばん安いメニューで2000円くらいなので食べたことが無いわけではありません。実際美味しいです。その店は昭和の創業ですが、麦とろ自体は江戸時代からあって、たとえば剣客商売にも出てきたりします。江戸時代の料理がそのまま残ってて気軽に喰えるのは、東京で暮らす人間にとっては零れ幸いです。

麦とろのように江戸時代から残ってるものがある一方でたぶん残っていないものもあります。そのひとつが芋酒です。文春文庫の鬼平犯科帳の凶賊を読む限り、小さく切った山芋を熱湯で浸したあとで摺ってそれに酒を入れ、燗にしてから飲むらしいのですが、残念ながら存在を確認したことはありません。

いつものように話がすっ飛びます。と同時にちょっと品のないことを書きます。

何年か前にカマンベールのフライをたべました。オレンジマーマレードが添えてあって出来たでアツアツで「うまいうまい」と調子に乗って食べたのですが、食後食べすぎたことを猛烈に後悔しはじめてます。チーズが滋養強壮的な意味で精のつくものであるとあとで知ったのですがそのときはそんなことは知らず、しばらくの間ポーカーフェイスを維持しながら耐えつつ、わが身に起きた変化がちょっと怖くなっていました。食べ物で身体の変化が起きたのはそれが初めての経験です。一緒に同じものを食べた相手はまったくそんなことは起きなかったので私の体質かもしれません。でもって精がつくとか滋養強壮という言葉の意味をあらためて理解しています。

話をもとに戻します。

芋酒は(なにをいたすかわからないよい子のみんなはわからなくていいですがともかく)いたすことをいたす前にも呑むものでもあったようです。以前はちょっとだけ好奇心からくる興味があって機会があったら作ってみようかなと頭の隅で考えてました。ただカマンベールチーズフライと山芋は精がつくとか滋養強壮という以外は直接の関係はありませんが、食べ物で人の身体は変化すると知ってから、芋酒を作って試そうとも思わなくなってます。なので芋酒は相変わらずどんなものかわからず幻のままです。

山芋をすっただけのとろろも、以前浅草で麦とろをたべたときはなんともなかったものの控えめにしてなるべく食わないほうが良いかなあ、と警戒するようになっています。麦とろもなめことろろそばとか好きなんですが。なんだろ、羹に懲りて膾を吹くではありませんが、怖いと思った経験は行動のブレーキになり得えませんかね。おれが臆病なだけかもしれないのですが。

個人的人力詮索さては(ジャガイモ編)

おそらくもうちょっとすると北海道のシシャモが出回るようになります。特段シシャモが好きというわけではなかったのですが、よくシシャモと豚汁という組み合わせは秋が深くなるとやっていました。数年前、小田急の地下をのぞいていたときにオスのシシャモを見かけてます。子持ちシシャモは知っててもオスのシシャモはその時に存在をはじめて知って、そこで躊躇していたらすかさず店員さんがやってきて「子持ちシシャモも美味いけど、オスのシシャモも美味いよ」と攻勢にかかりました。でもあまり見かけませんよね?と水を差すと「みんな美味しいって知ってるから産地で食べちゃうの、だから東京まであんまりこない」。そういわれると逆に好奇心が芽生えて攻勢に屈して買っています。それどころか脂がのってて万人受けする味ではないものの味が濃いのを知ってしまったがために秋になるとオスのシシャモを探すようになっています。あんまり来ないのは本当っぽくて、私の行動範囲ではタカシマヤもしくは小田急でしか見かけたことがありません。

話はいつものように横に素っ飛びます。

豚汁でもジャガイモをつかいますが、ジャガイモはわりと常備しています。短冊切りしたジャガイモをオリーブオイルで炒めた後にほぐしたコンビーフと黒コショウを加えてさらに炒めたりとか、じゃがいもをマッシュにしたあとカレー粉とマヨネーズと若干のバターと最後にフライドオニオンを混ぜたりします。ジャガイモを短冊切りにしたりマッシュにする作業というのはそれだけに集中でき邪念がなくなりますから気分転換にもなります。キタアカリは豚汁にも炒め物にもマッシュにも向いてるので私のような横着者にはキタアカリはありがたいですって、書かなくてもいいようなことを書いてる気が。話をもとに戻すとキタアカリがあったら買うようにいつの間にかなっていました。

住んでいる街ではないところの東急ストアでキタアカリを買おうとして見つけたのがレッドムーンです。メークインみたいな形状の皮が赤くて中身はサツマイモみたいな不思議なやつなんすけど、マッシュにしたらなんというかクリに似たほのかな甘みがあってねっとり感がありそのままでもイケて万人受けするかどうかはわからないけどちょっとクセになりそうな味で、住んでいる街には東急ストアがないので在庫を食べきった後に東急ストアのある駅で再度探したのですが、一時的取り扱いだったようでしばらくありつけませんでした。翌秋、死んだ両親が眠っている神奈川県下の街のサティだったイオンでみつけて狂喜して買ってそれを食べてます。食べきった後にイオン系ならあるのかも?と考えてぎりぎり歩ける範囲のイオン系になったピーコックに行ってみたのですが残念ながら世の中レッドムーンほどそんな甘くなく取り扱いはなく、そしてサティだったイオンでも見かけなくなってしまいここ3年くらいはレッドムーンにありつけていません。

あれほど美味しいものがなぜ出回らないのか。こうなってくると小田急の地下食品売り場のスタッフの人の「みんな美味しいって知ってるから産地で食べちゃうの、だから東京まであんまり来ない」ってのはレッドムーンでも当てはまるのではないか、と。もちろんキタアカリも美味しいです。キタアカリと異なる万人受けしない美味しさゆえに道内で消費され北の大地から東京まで流れてこないのではないか、と人力詮索してます。はてな今週のお題は「いも」で、ジャガイモの話で良くここまで書けるなあと我ながら笑えてくるのですが、その執着が我ながらほんとなんだか笑えてきます。

3kgとか5kgとかの単位のほかに受け取りの問題もあっていままで頑なに通販を避けてきた通販童貞なのですが、レッドムーンのためならシーズンが終わる前に捨てようかな…と、ちょっと心が揺らいでいます。

「たいめいけん」のこと(もしくはコールスローのこと)

地下鉄東西線日本橋駅に隣接するようにいまから20年位前まで東急がありました。いまはコレドという名前の高層ビルになっています。そのもと東急のコレドのそばにたいめいけんという、一階と二階ではメニューが微妙に異なってて一階は二階に比べてカジュアルで価格は安めの洋食屋がありました。過去形で書いたのは今月19日から再開発のために来年3月まで一時休業中になっちまってるからです。

たいめいけんでおそらくいちばん有名なのはタンポポオムライスです。チキンライスの上にオムレツが載っていて、オムレツを開くとほどよい状態のオムレツがチキンライスの上にするするすると広がります。シロウト目にも卵料理は火加減が命であることがわかる程度の、そして良い頃合いがわかる鋭いコックさんがいるのだなとわかる素晴らしい一品で、卵が苦手でまず頼まないのですが死ぬ前に一度くらいは冥途の土産話にチャレンジしてもいいかなと思っています。まだ死ぬつもりはないので頼んでません。

タンポポオムライスのほかにハヤシライスやレバーフライ、メンチカツなどのラインナップもあります。またそれらの料理を頼むと追加50円でボルシチコールスローを頼むことができます。このボルシチコールスローは前は確実に違う味でした。特にコールスローは以前ははっきりした味付けであったはずで、池波正太郎さんがコールスローをアテにお酒を呑んでいたというのを大人になって読んで「わかるなあ…」と、とても腑に落ちてます。いまのコールスローの味付けも美味しいです。炊き立ての白いご飯を食べたいかな、と思わせる程度にあとをひきます。50円なのですが今も昔も日本中さがしても同じものはどこにもないかもしれぬコールスローなのです。レシピが公開されてるので今年に入って時間を持て余したとき一度ためしに作ったことがあるのですが、酢か油かが違うみたいで近くまで寄せることができても真似できていません。

たいめいけんは最初は死んだ両親に連れられて、残念ながらそうそうしょっちゅうは行けませんが大人になってからも行列に並んで何度もお世話になってる店です。並んで喰うほどの店なのか・ほかに店を知らないのか、と云われると答えに詰まります。たしかに洋食はわりとどこでも喰えます。しかしどこにでもあるようでどこにもないような、たいめいけんコールスローボルシチ、ハヤシなどの味を覚えてしまったので断つことができていません。

なんだろ、美味いものって断つことが難しいようななんどもそれを求めることを繰り返してしまう麻薬的魅力ってありませんかね、って麻薬を打ったことはないのですが。禁断症状は出ないと思いますが、休業明けの来春がちょっと待ち遠しいです。

人って間違うのではないか、という疑問からくる雑感

勤務先にはヒヤリハットを含めた失敗事例集のようなものがあります。失敗した人や関係者が書いた反省文というかネガティブな事例集と云ってもいいのですが、失敗の詳細と「なぜそうしてしまったか」について書かれていて、閲覧の許可をもらったことがあってもちろん内容は社外秘ではあるのでここでは書けませんが、なにかしら事象が起きたとき「なぜそうしてしまったか」という解明が大事なのかもな、と腑に落ちています。他の会社がどうであるかは転職したことが無いのでわからぬものの、似たような事例集を直前までだれかが閲覧していたのかある病院の検査室の机で見かけたことがあってあるところにはあるはずです。でもって、人ってわりと間違うのではないかと思っています。別に人差し指と親指でLを作れるほうがLと外す前に実際に確認するようになる前はコンタクトレンズのLとRを間違うことが多かったことを正当化するために書いてるわけではありません…って書かんでもいいことを書いてる気が。恥かきついでだから書くと間違いはおそらくゼロにはできませんが、ゼロに近づけることはできます。卑近な事例で恐縮ですがコンタクトレンズのLとRの間違いを左手でL字を作ることができるほうが左、と確認するようになってから間違いを減らしています。間違いを減らすのは確認が大事です。確認しないから思い込みでやっちまって間違うわけで。

話はいつものように素っ飛びます。

東京ローカルな話で恐縮ですが、性の多様性について教育の中で教える必要性について疑義を呈する趣旨であり得ないと断ったうえで「LやGが足立区に広まってしまったら、子どもは1人も生まれない」と発言した区議さんがいて、性の多様性を教えて「もしかして自分は該当するのではないか」という人が出てきてもおかしくはないのですが、全員がそうなるというのは考えにくいです。確認すればわかることですがもちろん性の多様性を教えてる国で子供が一人も生まれないなんて事例はないわけで。確認すればわかるような実際に起こりにくいことを公言して煽ることに関して個人的には鼻で笑って軽蔑こそしますが、(それこそ思想統制になるので)考えてることを公の場で口にすることは別に誰も阻止できません。ただその後発言を反省して撤回した旨の報道が流れてて、おそらく公式の議事録からも消えるはずですが、私は頭が悪いのでやはり気になるのは「それでいいの?」であったりします。

(私が人は間違うのではないかという疑念を持ってるだけで説得力はないかもしれませんが)人は間違うという仮説に立つとき、「なぜそのような発言をしたのか」や発言がどのように妥当でなかったのかであるとか分析なり記録を残した方がご当人が次は間違わないために・別の人が間違わないために、実は大事なのではないかとか考えちまうのですが。そう考えるのは私が民間出身で失敗事例集を読み込ませてもらった経験があるからで、もしかしたらそう考えるのは少数派かもしれないのですけど。

偉そうなことを書いていますが、(正確に書けば失敗ですが)間違いの類は先週もやっちまってます。炊飯器をオンにし忘れててしばらくたってから気がつき、炊飯器のスイッチとメモ書きしてマグネットで冷蔵庫を開けるときに視野に入るようにしています。しばらくしたら捨てるつもりですが、間違いとかの類って直視するのこっぱずかしいですね。

19日大伝馬町にて

日比谷線小伝馬町の駅からそれほど遠くない大伝馬町に宝田恵比寿という小さい神社があって、氏子ではないものの小さいころから年に一度秋に必ずお参りしています。普段は無人宮司さんもいなけりゃ参拝客もさしていません。10月は神様が出雲に行っているので神無月という、と東京では習うのですが、留守を守るとされている神様が恵比寿さんです。なので東京以外はどうかは知らぬものの恵比寿さんの祭礼を東京では10月にすることがあって19と20は宝田恵比寿の祭礼で、多くの人で賑わいます…と書きたいところですが、今年は新型コロナの影響で祭礼自体が中止になっちまいました。小さい神社なので毎年目の前の区道を通行止めにして対応してるのですが人出を考えるとおそらく三密になるはずなのでやむを得ません。祭礼は中止になってはいても参拝がNGではないので退勤後に参拝しています。なんだか静かでひっそりしてて毎年あったものが無い光景だったせいか出来の悪いSFを見ている感覚に陥っています。

宝田恵比寿とすぐ近くにある椙森神社の周辺で19日20日に店や特設の屋台などで売られるのがべったら漬けです。なので宝田恵比寿の祭礼の際の屋台群をべったら市とも呼びます。でも祭礼が中止なので今年はべったらを売る屋台はありません。

できればべったらは手に入れたかったので、死んだ親から屋台で買わずに必ずここでにいたか屋のべったら漬けを買いなさいと云われてずっと寄っていた親切な店が椙森の近くにあって、その店がずっと東京にいたか屋の本店だか支店だかなのではないかとにらんでいたので念のためその店の近くまで行ってみるとやはり閉まっていました。そこで小伝馬町の駅へと回れ右すればよかったのですが念のため近づいてみると、べったらを毎年買ってたその店は漬物屋ではなくてよく見ると定食屋でした。なんだか力なく笑うしかなかったのですが、おそらく祭礼の日だけ定食屋の営業を止めてすべてを片付けべったらをたくさん仕入れて店先で売ってて私は長いことそれだけを目撃してて祭礼の日以外は来たことが無かったので気がつかなかったようで。

べったら漬けは大根を水あめや麹などで漬けた甘い漬物で、分厚く切るのが推奨されています。独特の甘い香りがしてそれを嗅いでるだけで私は多幸感に包まれます。が、好き嫌いがはっきり分かれるというか人によっては「よく喰えるね…」的な反応もあります(その反応をするのがいちばん身近な人ゆえにその反応はちょっとつらい)。私にとってべったら漬けは小さいころから馴染みの秋のたべもので慣れ親しんだ味で大事な存在です。

べったらのにおいを嗅ぎながら、来年の今頃、大伝馬町でべったら漬けを買えればよいなあと思ったのですが、どうだろ。鬼が笑うかな。

赤割

去年読んでいた青ブタシリーズの作品群では食べ物がちょくちょく出てきました。「青春ブタ野郎はシスコンアイドルの夢を見ない」(鴨志田一電撃文庫・2015)では主人公の梓川咲太が桜島先輩の妹にナスのグラタンを作ります。その記述を読んでなんか美味そうだな、秋に真似しようと考えて去年実行したことがあります(当該記述の数行先に「グラタン作れる男子ってどうなの」というセリフが出てきて真似しようとする読者を刺したりはするんすが)。

話はいつものように横に素っ飛びます。

富山へ行った際に赤割というのを知りました。残念ながら存在に気がついたのが旅程の最後のほうで、時間の都合で試していません。詳細を聞くと、舞台は京都であるもののその赤割が「有頂天家族」(森見登美彦幻冬舎・2007)の登場人物が呑むものとして出てきてて、赤割そのものは焼酎を赤玉スイーツワインなどの甘味果実酒で割る飲み物で、フィクションに出てきたものが気になる・真似したくなるというのは理解できるのと私個人の好奇心もあって富山で試せなかった代わりに週末に焼酎と赤玉を用意して赤割を試してみました。割合は不明らしく、じゃあってんで当座芋じゃないけどロクヨンでやってみたのですがやはり口当たりが甘く、ぐいぐいイケそうな、でもちょっと危険なシロモノという印象です。でもって未知の世界を知るのはちょっとエキサイティングでした。

有頂天家族は未読で、赤割を試してみて赤割を好んで飲む登場人物というのが気になってきてて、時間を見つけてちょっと読んでみようかな、と。本末転倒は承知なのですが。

浅草梅園の粟ぜんざいのこと

カタカナがあまり得意ではない上に頭が良くないのでジェンダーとか小難しい言葉は遣いませんが、世の中に「男は男らしく」みたいな変な空気というかイヤな空気があってその男らしい男ってなんだよ想像の産物じゃねえの?とつくづく思うのですが、イヤな空気の最たるものが「男が甘いものを喰うなんて」というやつです。いつだったか神田のある甘味店に男性がいるのを意外と書いてる人がはてなにいてアタマにきて「そこは池波正太郎が通ったところ!」とレスを付けようかと思ったのですが、鬼平犯科帳を誰もが読んでるとは限らず、池波正太郎?だれ?それ?となったら目も当てられないな…と気がついてそのままにしちまってます。なんとなくそれ以降、めんどくさくなりそうな空気を察して表向きは甘味にさして興味は無いような素振りをして、ちゃんと甘いものも摂取しながら生きています。

浅草の雷門から仲見世に入り、左手に公会堂が見えるあたりでちょっと左手に(西に)入ったところに浅草の梅園という店があります。晩秋から春にかけて寒い時期限定で粟ぜんざいというのが店に並ぶようになります。粟ぜんざいと云っても粟をつかっていないし一般的な汁粉でもなく、キビ餅の上になめらかなこし餡が載っているあたたかい甘味です。キビ餅の触感はぷちもちでこし餡は上品で、もちろん店内でも食べることができますがテイクアウトも可能です。テイクアウト可能なのを奇貨としてわりと手土産として持ってゆくのですが、電子レンジで加熱したてのをふうふう云いながら喰うのが好きです(いい歳したおっさんが2人が揃って冷ましながら食べてるところをご想像ください)。甘味処は浅草だけではなくて日本橋タカシマヤの中にも入っています。もちろん梅園の店員さんは男が粟ぜんざいを買いに来ても変な顔をしません。そもそも東京の甘味処は女性だけのものではありませんし。

美味しいというのは慣れた味と刷り込みからくるのではないかと思っていますが、粟ぜんざいはそうそうしょっちゅうは食べれたわけではないものの小さいころから冬になると食べていたせいもあって、私は粟ぜんざいが美味しいと感じています。冬に食べることができないと禁断症状が出てきます…ってそれはさすがにウソですが、寒い時期を乗り越えるために楽しみとして無いと困るものではあったりします。