「青春ブタ野郎はロジカルウイッチの夢を見ない」を読んで1

本作は春先までMXでやっていた(いまはTVKでやっていて7月からはABCでやる)「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」の原作のひとつです。

いつもながらのネタバレをお許しください。シリーズ通しての主人公の梓川咲太の友人に双葉理央という女子高生が居ます。身の回りに起きる現象について咲太は科学部に属している双葉理央になにかと相談し、双葉は起きた事象から推論を加えたり仮説を提示します。双葉がシュレディンガーの猫について説明してるシーンを偶然視聴して「なにこのアニメ」と興味を持って、酔っぱらうとチャンネルをわりとカチャカチャかえる人にリモコンを渡していたので「ごめんチャンネル変えないで」と頼んで青ブタのアニメみはじめたのがきっかけです。特段なにかしらのアニメのキャラのファンにはなったことはありませんが、双葉理央というキャラが居なかったらアニメも原作も観なかったし読まなかったと思われます、っててめえのことはともかく。毒舌家で、友情を大切にしつつ咲太の友人に淡い片思いしてるのですが、正直なにを考えてるかよくわからない謎っぽい印象を持っていました。本作を読むまでは。

本作はその双葉理央が主人公です。バイト上がりの梓川咲太が恋人の桜島麻衣とデートを兼ねて(念のため書いておくとさいか屋がありわりと開けた街である)藤沢駅周辺を歩いていると夜にひとりでネットカフェに入る双葉を見かけ違和感を感じ、潜入したネットカフェで電話をかけると(藤沢市内の住宅地の)本鵠沼の自宅にいる双葉につながるものの、目の前にも双葉が居るのを目撃するところから物語は急展開します。(当然のこととして双葉による解説と推論が作中でなされるのですが)なぜ双葉が二人いるのかや、その後どうなったかは本作をお読みいただくかアニメをご覧いただくとして、毎度書いていることですが周囲の協力を得つつ本人が自力で解決の方向へ歩み出すのがやはり好ましく思えました。

と同時にプチデビル同様今回も抉られています。

作中、双葉はきわどい自撮り写真をネットにあげていることが判明します。やはりそれなりに理由理屈があって、自嘲気味に語られます。匿名なので書けるのですが、わたしもはるか昔に自撮りした裸に近い写真をシングルだったときにリアルではあうつもりがないと宣言していたのでweb上で公開してました。(いまでもほぼ同じなのですが)細身で必ずしも自分の身体に自信があったわけではないので、褒められたら悪い気はしなかったので、何枚も撮っています。話が過去形なのは画像を保存していたひとから恋人に見つかって「これはなに?と怒られた」という告白を聞いてから、責任を感じて止めてますって、話がズレた。咲太にそれとなく問われて「誰かにかまってほしい」というのと「反応があるだけで救われた気持ちになった」という双葉の返答は(それほど深刻ではなかったにせよ)まったく身に覚えがないわけではないことなので抉られてて、双葉の心境というのもなんだか手に取るようにわかります。なので読んでいて、ひりひりした皮膚から血が流れてる感覚を覚えていました。でもって話がでかくなるので書くべきか悩むのですが性別年齢問わず、人が孤独や不安を感じたとき、それを解消するにはどうすれば、ということも付随して考えさせられています。設問が漠然過ぎますし、もちろん答えなんかないんですけど。

あと興味深かったのが

人って目からの情報が八割でいきてるんだってな(P249)

と、咲太が自分の妹のかえでのいじめの経験から述べてるのですが、一方的に届く・目にしてしまうデジタルの文章は会話と異なり身がまえる前に抉られてしまうことに触れられていました。これがフィクションかどうかはわからぬものの、なんだか妙に説得力を持っている気が。

空気を読まずにちょっとだけ。主人公の咲太は時と場合に応じて全力で事態解決に向けて向き合うのですがその一方で「前向きな生き方、疲れるだけだろ」と言い切ります。もちろんそれ相応の経緯を経てそう考えるに至っているのですが、でもってあらためてそのセリフを読んで、そうだよなあと思っちまうところはあったりします。フィクションは、ときとしておのれの暗部を照らし出すことってありませんかね。そんなことないかな。

Banana kyu

フィリピンの料理にアドボというのがあります。ニンニクとタマネギとブラックペッパ―を振った鶏肉を油で炒め、そこにローリエと酢と水を加えて煮込み、さらに砂糖と醤油と酒を加えて煮込む料理で(ほんとはそれに茹で卵を添えるのが本式ですが茹で卵を喰うくらいなら死んだほうがマシなので茹で卵は無視して別に茹でたブロッコリかトマトを最後に皿の端に添えて)、わりとやります。フィリピンの人が居る米軍基地の開放日に知った料理で、フィリピンに縁はありませんがフィリピン料理にいくらかの興味があります。

上野広小路へ映画を観に行く途中、時間があったので上野公園でやっていたフィリピンエクスポというイベントに寄りました。暑かったのでハロハロ(というかき氷ベースの氷菓)かサンミゲルビールを探すつもりで出店を眺めていたのですが、そこで揚げ物の屋台にであいました。暑いのにタガログ語をしゃべる人が並んでいたのが妙にひっかかり、同行者曰く、並んでいるところは美味しいはず、との理由で並んでます。

並びながらタガログ語がわからないのでなにを揚げているのか英語で訊ねると「バナナ」との答え。バナナキュー(Banana kyu)というらしく、いったん素揚げしたバナナに砂糖をまぶし、再度揚げて(このとき砂糖がカラメルになる)、揚げたてを串に刺して渡されました。訊ねた礼儀として買いはしたものの、口をつけるまではバナナかあ…少しだけ失敗したかなあ…と口には出さなかったものの思っていました。でも口にすると想像と違い、バナナというよりホクホクのサトイモに食感が近く、カラメル化した砂糖も相まってけっこうイケてました。ただどうも日本のバナナの種類が違うっぽい感じが拭えず、真似できそうにないのが残念なのですが。

再現はできぬものの見知らぬ料理をみつけてそれが美味しいと、ちょっと嬉しいってことないですかね?ないかもですが。

相続財産

なんどか書いてると思うのですが工業用機械の会社に勤務していた父は「屋台で生ものを喰うな」というのと「タダ酒は品性がいやしくなるからするな」というのを子である私に(成人式の後か社会人に出るあたりで)アドバイスしました。理屈はわからぬものの「そういうものなのか」と思ってそのときはそのまま飲み込んでいます。社会にでても、バカ正直にその通りにしています。はじめて購買のようなある程度の決裁権限を持つ仕事をしたときに二つ目のタダ酒のほうは理屈をなんとなく理解しています。ある程度の権限を持つと人は擦り寄ってきます。そこでなんらかの借りや弱味を作ってしまったら公正ではいられなくなると思って、軋轢が無かったわけではありませんが自分が担当してる間はだされたお茶は(茶の産地なのでほんと美味だったので)お礼を述べていつも飲み干していたものの、借りや弱味を作らぬよう注意していました。もし父のアドバイスが無かったら冠の中に李をこっそり入れることを要求するような人間になっていたかもしれません。父は私が20代のとき、闘病したあととどめは血小板減少症で他界しています。はてな今週のお題が「おとうさん」で、父から受け継いだもののいちばんでかいのは人として間違った方向へ行かなかった切っ掛けとなった上記のアドバイスなのですが、父がなぜ上記のアドバイスをしたのか、なにかしらの体験に基づくものなのかは訊かずじまいです。特に屋台のほうが謎です。屋台で失敗したのかなーと想像するのですが、いつか向こう岸へ行ったら訊いてみるつもりです(そうなったらここで報告はできませんが)。

アドバイス以外の相続財産のうち、いまも手許にあってどうしようかなと迷ってるのがカメラです。Konica Autorexという一眼レフカメラで、おそらく私が生まれる前のもので、当然デジタルカメラではありません。説明書きもなく、使い方を訊いておけばよかった、と後悔してもあとのまつりで、露出とか絞りとかを含め使い方もわかりませんから父が死んでから20年弱ずっとそのままです。コニカミノルタと一緒になったあとカメラ事業をやめていてもう修理部品が無い可能性がありますから処分しようかなと考えてるのですが、なぜか踏ん切りがつかなかったり。断捨離ができません。

父がいなくなって20年弱なのですが40半ばになっても行動規範の根っこの部分は父の影響下にあります。でもってまだ父からの相続財産も処分できぬものがあって、つまりまだ完全に父離れはできていなかったり。

仕事では大きなポカというのはないのですが、仕事以外での緊張感のないときの小さなポカというのは無いわけではありません。

前に書いたと思うのですが、コンタクトレンズのLとRを間違えてケースに入れ、翌朝右目用の度の強いレンズを左目に入れて「!」となることが以前はわりとありました。人さし指と親指でLができるほうが左、まずLを確認して左のほうからレンズをとるようにすれば、とアドバイスを貰ってからはほぼ間違えなくなっています。

洗剤は以前は部屋干しトップをつかっていたのですが、いまはアリエールのジェルボールです。放り込むだけで良いのですが、動作が簡単になったぶんだけ即忘れてしまうのか、洗濯機のスイッチを入れてから「あれ、おれジェルボール入れたっけ?」ということが複数回ありました。いったん止めてひっかきまわしてジェルボールを確認して再度スイッチ、というのを複数回やっちまってからは、動作を入れれば間違えなくなることを学習したので、ジェルボールを入れるときに現場猫のように指差し確認をしています。「入れたっけ?」はそれでなくなってますが、なんだろ、便利になったぶんだけ人間として退化しちまってる気がしないでもなかったり。

小指の思い出について2

「Tell me where is fancy bred, Or in the heart or in the head?How begot, how nourished?」ってのがヴェニスの商人にあります。大学のときに読んでいてわたしはあほうがくぶ卒なので巧い日本語が思い浮かばないのですが、気まぐれな心はどこからでたの?胸の中?頭の中?どうやって宿して、どうやって育つの?というようなことを問うています。答えは用意されてて「It is engender'd in the eyes」ってあるので、眼です。おのれを振り返ってもこれが良いと思って買ったものでも別のものを見てしまうとあああれも良いな、ってなりがちで、うつろう心ってのは目からくる、ってのはひどく理解できます。大学のあと社会に出てTOKIOの長瀬くんがカバーした

あんまりそわそわしないであなたはいつでもきょろきょろ

よそ見をするのはやめてよ

「ラムのラブソング」

というのを聴いて印象に残ってて、上記の眼の話を含めてああたしかに人間にとって眼というのは厄介だなあ、と思うようになっています。他人の視線の行き先がすっごく気になることがあるのです。彼氏はいまでもヒロスエのファンなのですが、きょろきょろしてるわけではないけどヒロスエのポスターをじっと眺めてるのをみたとき、おとこなのにラムちゃんの言いたいことはなんとなくわかるようになりました。ああ、おれは鬼型宇宙人だったのか、って話がズレた。

文章でも歌でも語句のそのうしろに眼に限らず身体の感覚や経験や体験に裏打ちされたものがある場合があって、それが書く方と読む方とをくっつけることがあるかもなあ、ということに気が付いています。でもって身体の感覚や経験や体験に裏打ちされた部分がちょっとでもあるとは私は比較的理解しやすいところがあります。つか、読んだ言葉の理解を支えるのが論理とは限らず・読んだ言葉のイメージを支えるのが教養とは限らず、身体の感覚に頼ることがあることについて、書けば書くほどおのれが頭が良くないことの・頭がからっぽであることの間接的証明になってしまってる気がするのですがそれはいまは横に置いておくとして。

いつのものように話が素っ飛びます。

NHKBSで土曜にやっていた桑田佳祐さんが昭和と平成にヒットした他の人の歌をカバーする「ひとり紅白歌合戦」という番組の録画を何回かに分けて夜に視聴していて、けっこう興味深かったのが昭和の歌謡曲です。たとえば

あなたが噛んだ小指が痛い

昨日の夜の小指が痛い

 伊東ゆかり「小指の思い出」

というのを桑田さんの声で聴いていて、小指を噛んだことはないものの他人の指を口腔内に含んでいるときの舌の感触であるとかそのときの相手の視線をやはり想起して、おそらくつよく小指を噛まれたのではなくて指を口腔内に入れるような相手との邂逅の余韻に浸ってるのだろうな、と書かれたわけではない行間をいつのまにか読んでいました(というか聴いていましたと書くべきか)。経験や身体の感覚や体験などから理解を知らず知らずに進めてて、興味深い経験をしてます。歌う方と聴く方が体験というか身体の感覚で結びついてることってあるのだなあとあらためて思い知りました。でもって(伊東さんの曲についてではないのですが)桑田さんの言葉を借りれば「実地体験」がないと出てこないかもしれない歌が他にもあったほか、それとは別に当該番組では槇原敬之aiko中島みゆき松任谷由実和田アキ子GARO等の曲をカバーしてて解釈と鑑賞をしてるうちに度数の高い酒をあおったようなヒリヒリとした感覚に包まれ「ひとり紅白」はとても至福の時間だったのですが。

話をもとに戻すと母語を日本語としてるので日本語で書かれれば、だいたい読めます。しかし私は他人の書いた文章が読めるけどなにをいってるかわからないという体験をして以降その反射的効果として、人が書いてあることを理解する・理解できない分かれ目ってなんなのだろうという答えのなさそうな疑問を抱き続けてます。文章能力が無い私には深刻な問題で、おのれが書いた文章を他人に理解してもらえなかったらよくわからないやつで終わってしまうわけで。でもって答えは相変わらずありません。が、わたしが生まれる前の歌謡曲でも身体の感覚や経験や体験を接点にして理解できることは改めてわかったので、詩人や小説家になるわけでも売文業をするわけでもないのですが、そこらへんちょっと留意してもう少しあがいてみようかと思いました。

音の記憶

用があって小田急で神奈川県下に行ってたのですが、往路で新百合で快速急行を待ってると目の前に目的地とは違う箱根方向へ行く新車の特急が。若干テツの血が騒いだので手持ちのカメラで1枚。

伝統的に小田急の特急は警笛代わりにドミソドドソミド(ソは1オクターブ下)って鳴らすのですけど、サービスで鳴らしてくれたのか発車時にそれを久しぶりに聞きました。新車になっても小さいときから変わりません。その音を聞いたらそうそう森永のアイス食べたよなー、ウエハースあったっけ?とかの過去の記憶が不意に湧き出てきたんすが、メロディって過去の記憶の封を解くことってありませんかね。ないかもですが。

大人になれないことに気付くとき

少し狂ったことを書きます(いつも少し狂ってますが)。

江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、という悪口があります。口はでかいし悪いが腹の中は空洞である、というニュアンスで用いられます。良い意味では上品ではないけどさっぱりしていて、悪い意味ではあと先考えず口にしてなおかつ流されやすくて確固たるものがあんまりないです。いわゆる江戸っ子の気質が無いわけではない「坊ちゃん」は学校に赴任した日に「生徒の模範になれ」とか「学問以外に個人の徳化を及ぼさねば教育者になれない」などと云われて「あなたの仰るとおりにゃ出来ません、辞表は返します」という行動をとろうとします。教師として赴任しながら教育的言説が響かないのは教師として確固たるものがあまり無いからです。

確固たるものがあまりないと書きましたが、まったくないわけではありません。「坊ちゃん」の中では「名折れ」という語句が複数回出てきます。名折れというのは名誉とか名声とかそういうものに瑕がつく、という意味ですが、新聞に辟易して休んだと思われたら名折れなので「めし食っていの一番に出頭」するように、名折れだけは避けてます。でもなんでなぜ名折れを避けるのか。弱虫と囃し立てられたから跳ぶしかない、という結論に結びつくように、あいつはほんとは度胸が無いのだ・強くないのだ、と思われるのはイヤという理屈抜きの強がりが彼の根本思想のひとつだからのはずです。すべての江戸っ子が理屈抜きの強がりとは言い切れませんが、理屈抜きの強がりは江戸っ子の特徴のひとつであったりします。もっとも坊ちゃんの行動をすべてを江戸っ子に帰結できるかと云ったらそんなことはできませんが。

徳化を及ぼさねば教育者になれぬといわれて辞表を返そうとした坊ちゃんですが、松山にいる間に義侠心のようなものが出てきます。物語としての坊ちゃんには赤シャツという出世間違いなしの事なかれ主義の策士でもあるエリートが出てきますが、美人のマドンナを手に入れて、うらなり君を合法的に追っ払い、お金を使った女遊びをするのだけど証拠が残らぬように時間をずらして入る用心深さを持っている決定的な違法さはないけど道義的には「ヤな奴」です。坊ちゃんはご存知のように結果的に天誅を加え即刻辞職して東京に戻ります。

坊ちゃんはなぜいまでも読まれ続けてるのかというのはわたしの疑問のひとつなのですがそれはさておき、坊ちゃんは根っこには「ヤな奴は成敗されるべきである」という路線があって確固たるものは無いけど理屈抜きに動く義侠心のある強がりな江戸っ子が行った忠臣蔵だと思っていて、私的成敗の禁止というのは百も承知で、私的成敗がある坊ちゃんという作品について大人として・法学部卒として云い難いことなのですが惹かれるものがあります。状況にはなにも変化がないというのはそのとおりです。戸籍上は台東区中央区のハーフなので血のせいにしたいのですが血のせいにするわけにもいかないので言い換えると、(義侠心や道義が廃れつつあるなかで義侠心や道義を真正面から持つ)坊ちゃんを読んでいてシビれてしまうのは40過ぎても完全に大人になり切れぬところがあるせいかもしれません。坊ちゃんについて考えるとおのれがいつか完全に大人になる日が来るのかなあということを考えます。五月の鯉の吹き流しではないですけれど、読んでいいなあと影響されちまうくらい確固たるものは無いので、ムリかもしれないような気がするのですが。