「つく」「つける」(もしくは乾いた洗濯ものを見ての実感)

必要があって帳簿をつける仕事の経験があります。さらっと「帳簿をつける」と書きましがこの「つける」ってのが謎で、わさび漬の漬けではないことは確かですが、「染みがつく」という言葉があるくらいですから、あとに残るような行為を前提にした行為を「つく」とか「つける」とかいうようになったのではないか?と疑っています。

Twitterで「日記をつける」の「つける」はなにか?というのを見て、あとに残すという点では帳簿や染みと同じではないか?と考えちまっています。人への公開を前提にしていつつも見たこととや読んだ本とかを中心に個人的な記録をあとに残すように「つける」という意識が私は強いです。かつて習得した名古屋弁はともかくとして日本語がかなり怪しいので正解は残念ながらわからないのですが。

じゃあ「書く」というのはあとに残さないのか?とか「日記を書く」と「日記をつける」というのにどれほどの差異があるの?とか、わざわざ別に言葉があるからには深遠な意味があるのでは?とか謎は深まるのですが、その謎は横に置いておくとして。

いつものように話は横に素っ飛びます。

捨てても良いようなTシャツを寝巻代わりにしていてよく見ると白い染みのようなものがついているのに気が付きました。薄い灰地のシャツでそれほど目立つわけではありません。しかしやはり気になったので「もしかして歯磨き粉が飛んだのだろうか」と見当をつけて昨晩洗面器にぬるま湯をいれそこに台所用洗剤でいったん洗ってから再度洗濯機に放り込んでいます。今日の東京は晴れの予報でずっと外干ししていたのですが、退勤してからTシャツを眺めると染みはやはりまだ残っています。それを眺めてて「つく」とか「つける」というのはほんと後に残ることなのだなあ、と改めて実感しました。あんまり実感したくなかったのですが。