最初に茶道具をきちんと観たのは大学生のときでした。観たといってもガラス越しで、京都の北山の光悦寺という寺に所蔵されてる茶道具を観たに過ぎません。なんで光悦寺へ行ったかといえばすぐそばにユースホステルがあって、そこで本覚坊遺文を手に京都へ来たことを告げたら、茶道に興味があるならちょっとでも観ておいたほうがいいかな、と薦められたからです。正直、別に茶道に格別の思い入れがあるわけではなかったし、光悦寺にゆかりの本阿弥光悦がどういう人かすら判ってはいなかったです。で、最初、良くは判りませんでした。なんだかすっきりしたデザインの茶碗だなー程度です。茶道具に対する興味なんてそんな程度でした。


ところが不思議なもので、招待券を無駄にすまいと何年もずっと折を見て茶碗類や茶杓を見ていると、作った人や集めた人の個性がなんとなく判ってくる気になるのです。ああ、この人はこういう人なんやな、というのがわかるというか。もちろんそれは確たる証拠がありません。


安土桃山から江戸期にかけて活躍した古田織部という武将は茶人でも有ったのですが、大坂冬の陣の時にこともあろうに自分の持ち場を離れてよそへ行き竹束の中に茶杓になる竹はないものか?と、物色していたなんて話があります。で、そんなことをしてたので鉄砲で狙われてしまった。茶杓によい竹を物色していた古田織部の行動は武将としてはほんと褒めらてたものではないのですが、生きるか死ぬか、喰うか喰われるかの戦場にあってもなお心をとらえて離さない何かが茶道にあって、その執心は現代に残ってる古田織部の茶道具をみると、如実に出てる気がします。気迫というかなんというか、形容しがたい何かが詰まってるというか。
上野の国立博物館でつい最近見た近衛文庫所蔵の、細川幽斎などのものと並べて展示してあった(大坂で探したものでもないですけれどたぶん無骨な武将がああでもないこうでもないと吟味しながら製作したであろう)古田織部作の茶杓はどこか存在感がありました。なるほどこれが古田織部なのかっていう具合です。茶杓自体は耳かきのような形状の、折ろうと思えば簡単に折れてしまうような竹でできた小さな道具です。たかが道具なんですが、自らの理想の茶杓を目指してるうちに「自分はこういう人間だ」というのをどこか主張してる気がしてならないです。どこか力強い感じというか豪放というか、戦国武将の持ち物というのが、なんか判るのです。たぶん、豪放な武将だったのでは?とおもうんすけど。
ただこれらは道具から見た、想像です。
けど、なんかあたってそうな気がしてならない。「私は妄想ができない」とかつて書いたのですが、そういうのも妄想に入るとするなら妄想できるし嫌いではないのかもです。ただ、井上靖をはじめとする小説家の作り出した虚像を基盤としてるのは確かかも。


美術品に限らず音楽や文章でも良いのですけど、何かに執着してる人の作ったものはどこかその人がにじみ出てる気がしてなりません。過去に生きた人に会うことはタイムマシンができなければ無理ですけど、どういう人だったかうっすら想像がつくってのは、芸術作品って面白いな、とつくづく思います。


(なお、近衛家の所蔵品の公開は上野の国立博物館で2月24日まで)