旧日向家熱海別邸見学

昨日熱海にいました。

しょっぱなから話がズレて恐縮なのですが、熱海は山がちで平坦な場所があまりなく、海岸から市街地の方向を眺めると高層の建物が多く、その建物も傾斜地に建てていることが多いのに気が付かされます。おそらくどの部屋からも海の眺めを得たいのであるならば最適解はそうならざるを得ないと思われます。もちろん正解はわかりません。話をもとにもどすと

熱海の急傾斜のある山の上に戦前に建てられた旧日向家熱海別邸という建物を見学していました。なお館内の撮影OKなのですがインターネットにアップするのはNGなので内部の写真はあげません。ので、差し支えなければ何卒熱海までご足労願います。

外から眺めることが出来るのは木造2階建ての建物です。銀座和光や広島の福屋と同じ渡辺仁の作品で、見た目は平凡ではあるものの便所や台所等を除けば南面に大きく窓をとり、客間はいうに及ばず寝室であろうと居間であろうと相模灘を一望できるようになっています。南面ですからもちろん日が差しこむのでそのために部屋によっては障子がつけてあって、しかしその障子は下半分にガラスをはめ込んである雪見障子ですべて開けずに済むようにしてあり、こちらがふふふと笑ってしまうくらいに隙あらば相模灘を見せようという工夫がなされています。その工夫を眺めてると人はなぜ海を見たがるのか?という根本的な謎が出てくるのですけど、それは横に置いておくとして。

屋根は途中まで(茶道で織部の瓦を使うのでそれに引っ掛けてるのか)織部焼の瓦で、その先は銅板葺きです。新築の頃は新品の10円硬貨のような銅の色に織部の緑の瓦であったはずで、かなりシャレた建物に見えたのではあるまいか、と。

さて、熱海は温泉地です。いちばん西端に伊豆石とタイルで青い色彩でまとめられた浴室がありやはり温泉がひいてあり、そこも御多分に漏れず相模灘を眺めることが可能です(急傾斜の土地なので覗かれることもない)。浴室の北面にシャワーつきの洗い場、南面にいくらか大きめかつ深めの風呂があって、他に西面に10cmもない底の浅い1畳くらいのスペースがあり、そこが何に使われていたかがわからないらしかったり。ラブホであったらマットを敷いて(よい子のみんなはわかんなくていい)泡踊りのスペースかな?と見当がつきますがさすがにそんなことはないでしょうし、そこに温泉のお湯を張って寝ながら過ごしていたのでは?とか、およそ90年前の設計者の意図がまったくわからないのが悔しいのですが想像だけが膨らみます。

なお蛇足ですが、奥に見える建物は木を多用する前の隈研吾さんの作品です。

およそ90年前の建物なので耐震兼修復工事を行っていてその話も興味深かったです。残念ながら茶道用ではない屋根にのせる織部の瓦を作っているところはないらしく、似せて作って貰えるところに協力してもらったそうで。

ところでさきほど「熱海は山がち」「急傾斜が多い」と書いたのですが日向家別邸には庭があります。

解を書いておくと木造家屋の斜め下に鉄筋コンクリートの細長い躯体を置き、その躯体の上を庭にして芝生を貼って利用しています。そしてそのコンクリートの細長い躯体そのものは地下室として利用されていて、桐や竹を多用しつつ淡黄色でまとめたモダンな社交室+赤く染めた絹布を壁に貼った洋間+それに灰緑色でまとめた日本間からなる地下室部分の内装等を手がけたのがナチスが実権を握りはじめた頃に日本に来たブルーノ・タウトというドイツ人の建築家です。

タウトさんが手がけた地下室部分も相模灘を見せることに全振りとまではいかないもののある程度の考慮がされていて、たとえば洋間の場合には透明なガラスの折り戸を設置し、折り戸をあければ西洋風絵画のような眺めに、折り戸を閉めれば日本画の屏風絵のように感じられるようになっています。その洋間には(正直に告白すると初見でみたときにはギョッとした)赤く染めた絹布が貼ってあるので晴れてさえすればその赤と海の青のコントラストに唸らされることになります。

そしてその洋間に限らずそのタウトさんの手がけた地下室は90年近く経っても斬新に思えました。時間を感じさせない点でほんと建築って不思議です。

1時間半程度の少人数の見学ツアーに参加しての見学だったのですが、1時間半が短く感じられるほど濃密な体験をしてきました。

さて最後にくだらないことを。

熱海ははじめてで若干ミーハーなので貫一お宮の像を見たいといって見に行っています。「読んだことあるの?」と問われて「無い」と正直に答えたのですが、教えてもらって背景を知ると印象が変わるなあ、と。無知であったことを自白してる気がするのでこのへんで。