ミスを防ぐための復唱について

O型から眺めるとB型はどうも雑にみえるらしく、雑とか云われることがないわけではありません。実際エアコンや室内照明のリモコンをどこに置いたかわからなくなって探すことがありテキトーなところはあるかもしれず、否定する材料を持ち合わせていません。OとかBとか世界の人間を4つに分けられるほど単純であると思えないので血液型占いほどバカバカしいことはないと内心は考えているのですが、残念ながら雑もしくはテキトーであることをうっすら自覚はしてるので、勤務先などで文字などではなく電話などで口頭で重要事項を伝達もしくは確認する場合、復唱することが多いです。あらゆる対策をとったとしてもミスはゼロには出来ないとしても、雑もしくはテキトーゆえのミスをちょっとでも防ぎたいからです。

一昨年の秋に手術をしたとき、手術台の上でまず名前と生年月日を訊かれ次いで左右どちらの目の手術をするのかを訊かれ、こちらが答えると、執刀するドクタを筆頭にアシストするほかのスタッフを含め全員がこちらの名前と生年月日と左右どちらの目の手術であるかを復唱しました。術後しばらく経ってからドクタに「あれはミスを減らすためですか?」と訊いたところ肯定していたのですが、ミスを防ぐための復唱ってどの世界でも有効なのかもしれない、と思っていました。

朝に航空機の事故の新聞記事を読んでいてどうも航空管制と飛行機の間も復唱する慣習があるようで、当事者同士で復唱してもミスが起きてしまったとしたら、やはりゼロにはできないのかと腑に落ちつつも復唱でミスを防いでいた雑でテキトーなところがある凡人としては「どうすれば」感がないわけではなかったり。これ、おそらく正解がない問題だと思われ、よく「愚者は経験から学ぶ」とバカにされがちではあるものの私は愚者なのでいままで巧くいったことを根拠としてと復唱は続けるつもりです。

もしかしたら大惨事を回避できたことに目を向けなくちゃいけないのかもしれぬものの、些細なことが気になっちまいました。些細なことが気になる器の小ささを証明してしまってる気がするのでこのへんで。