大磯城山公園へ(旧吉田茂邸見学)

たぶんなんどか書いてると思うのですが関東は冬に北西からの冷たい風が吹きます。避寒を考えるとその北西からの風を避けることが出来ればいちばんよく、神奈川の西の大磯町は丘陵地帯で、丘陵の麓であれば風の強さは平野部ほどではありません。その特性を生かして大磯は明治からこちら要人の邸宅が多く建てられていて、そのうちのいくつかは保存されたり再建されたりしています。

和洋折衷で建てられている旧吉田茂邸もそのひとつで、いちど焼け落ち、再建されています。吉田邸のあるあたりは城山公園という公園になっていて、去秋に城山公園には来たことがあるのですがそのときは第5波の真っ最中で、邸内は見学不可でした。日曜にダメもとで寄ったら見学可であったので今回は見学しています。最初に書いておくと正直、時間泥棒な建物です。

玄関から入ってすぐのところに楓の間と名付けられた応接間があります。さきほど和洋折衷と書いたのですが、置いてあるソファは洋式で、しかし天井は両端より中央が高くなる茶室などに使われる船底天井です。船底天井にすることでより広く見せることが出来るのですけど、大きな窓と相まって、圧迫感がありません。よく考えられてて、唸らされています。

応接間の上にあるのが官邸直通の電話が引かれていた書斎で、完全に和風に振り切っています。窓の向こうに(砂丘の上に植えられた)竹林、ちらっとだけですが相模湾が見えます。

南東端には掘り炬燵と本棚が置かれています。本棚の本は(子である吉田健一さんによって)大磯町に寄贈したものが再度吉田邸に戻されていて、日蓮正宗出口王仁三郎の本などもあって、宗教に関心があったようなのが興味深かったり。

北端には風呂場があり、浴槽は長方形じゃなくて舟形です。世間では舟は水面に浮かびますが、この風呂場では舟にお湯を張る発想がひねくれてていいなあ、と。

風呂場と書斎を接続する縁側は北西に面していて、晴れてれば箱根や富士がのぞめたはず。2階に風呂や縁側というのは一般家屋では採用されにくいですが、眺望が良ければアリかもしれぬな、と思いました。

食堂は内装は完全に洋風(それもアールデコ調)です。しかし窓の外は松林で、ちょっと和の空気が漂う不思議な空間になっています。

先ほどいちど焼け落ちたと書いたのですが、正確に書くと焼け落ちなかった部分があって、

それがサンルームです。そこへ通じる通路の外観が土壁っぽく仕立てられ格子状の窓もあってなんだか和風で、サンルームの色も相まって、違和感がさしてありません。こういうところもよく考えられてて、唸っちまうのです。

銀の間と呼ばれる寝室で、絨毯が敷かれてるほか洋風のベッドや執務机が置かれています。和風の障子があって、天井は錫の箔が貼られててやはりどこか和風っぽさを感じさせます。錫の箔を張ることで障子越しでも光が入ってくるとそこがうっすら明るくなります。理屈はわかってるのですが、目にすると唸っちまいます。銀がある以上対になる金もあって、銀の間の隣にあるのが

金の間です。楓の間とはまた別の賓客用の応接間として利用されていて(現在系で書いたのは実際に海外からの賓客をもてなしていて)、天気が良ければ富士と箱根を眺めることが可能な、おそらく一番眺めの良い部屋です。天井の桐板と桐板の隙間に金箔が貼ってあるので金の間。光があたるとキレイらしいのですが、残念ながら曇天だったので部屋を施主や設計者の意図のようには撮れていません。

曇天でも相模湾の方向はちょっと絵になるなあ、と。

人の目の高さから水平線までの距離がおよそ4キロなのですが、建物の2階からだと何キロくらいになるかなあとか、水平線を眺めてると計算したくなりませんかね。ならないかもですが。

なお旧吉田邸のある城山公園から海岸までは直接は出れませんがけっこう近くです。もちろん無駄に散策してきました。

桜にはまだちょっと早かったようで。大磯の現場からは以上です。