死蔵してるもの(もしくは手ぬぐいの話)

311の後に輪番停電がありその年は夏に停電をするかもという計画があって、その春あたりからケーキなどを買ったときについてくる小さい保冷剤をそのまま冷凍庫にぶち込んでいました。輪番停電は春だけでしたが惰性でそのまま入れっぱなしにしています。何度か捨てようかと考えはするのですがあちこちで地震や台風のあとに停電があったことを聞くと「念のためまだ取っておくか…」と挫けてしまい、常に10個くらいキープしたままそのままいまに至ります。昨夜の地震は東京の多摩も揺れ、加えて南隣の町も西隣の町も停電があったのですけど不思議なことに私が住んでいる自治体は停電がなぜかなく、はてな今週のお題が「わたしのコレクション」なのですが私の保冷材コレクションは今回も真価を発揮することはありませんでした。もういいかな…と思いつつ、1週間くらいは余震がありそうなので判断を先送りするつもりです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

保冷材の他にも一度もその真価を発揮することがないまま死蔵したままの手ぬぐいがあります。実用品はつかってこそ価値のあるものだとは思うのですが、しかし手ぬぐいを使う機会はあまりありません。使う機会があっても沢山は要らないのにもかかわらず、あまり考えずに手を出してしまっています。

たとえば祇園祭では各鉾町で手ぬぐいを出すことがあって、

木賊山のものなのですが、坂東の田舎者ゆえに宵山を見学したときに「記念に…」と手を出したものの、死蔵しています。ほぼ未使用です。大きな声では言えませんがまだあって

同じく宵山見学時に買ったはずの山伏山の手ぬぐい。志納したお金が各鉾町の運営に充てられたと思えば良いのですが、完全によいカモかもしれません。

京都以外でも手を出していて

佐賀の唐津で買った唐津くんち(というお祭り)に関する手ぬぐい(のはず)です。買った時は鯛の曳山を見てテンションが上がってたと思われます。でもやはり未使用で、死蔵しています。

とりあえず3本ほど出してみましたがタンスの中には他にも未使用のものがあります。コレクションを自称できるほどには集めてはいないものの、使わないのに集めてどうするの?といわれるとキツイいです。ただ処分するつもりもないしその散財を不思議と後悔はしていなかったり。なんだろ、「これは良いな」と思えたものを手許におくことって、言葉にしにくいちょっとした快感がありませんかね。ないかもですが。