桑名へ

2日ほど伊勢へ行っていました。伊勢神宮を参拝したあと二見浦へ行ったのですが

計算外であったのは近江から鈴鹿山脈を越えてきた冷たい鈴鹿おろしが伊勢湾を経て伊勢市や二見のあたりにもくるのか、二見浦では荒波で強烈な風が吹いてました。暖かいところへ行こうとして伊勢志摩にしたのですが、予想が外れちまいました。でも温泉のある宿に泊まって、ちょっとだけですが静養してきました。

帰路、桑名で途中下車し、六華苑というところへ。

山林などで財を成した諸戸一族の、大正2年建築の庭園のある御屋敷です。駿河台のニコライ堂や上野の岩崎邸などを手掛けたジョサイア・コンドルが洋館部門の設計に携わっています。コンドルのが関与した建物は諸戸家のものがおそらく関東以外では唯一かもしれません。半分が洋風建築、半分が旧来の和建築で、洋館の外壁はモルタルですが木造建築です。塔屋の部分だけ木造4階建てで、六華苑は揖斐川の川岸そばにあって地盤が良いとは思えず、記憶に間違えなければ三河地震ってあったはずで、地震はダイジョウブだったんすか?と職員の方に訊いたら無傷だったようで(ただし桑名空襲で敷地にあった諸戸家の建物の一部は焼失している)。明治大正時代の構造計算がかなりしっかりしていたことにちょっとびっくり。

2階の洋館部分の書斎なんすが、ジョサイア・コンドル自身は直線的なデザインを嫌うところがあったらしく、ムダに屈曲したデザインを採用しています。右の三枚窓の部分だけ出っ張りがあるのがわかりますかね。

三枚窓の部分の外はサンルームです。屈曲したデザインによって出っ張った部分だけサンルームも出っ張っています。

工費はかかりますが、その分だけつまらない建物ではなくなりました。デザインの勝利といえばいいのかな。許した施主もダテじゃないです。でもって書斎続きのサンルームってちょっと魅力的です。

書斎の隣の洋館部分の居間なんすけど、収納スペースはもともとあったもので、中の引き出し等は後付けって説明だったんすが、なんだろ、内装は洋風建築ではあるのですが、引き戸がどこかふすまを思わせて日本的だなあ、と思っちまいました。

揖斐川のほとりなので桑名はけっこう冷え込むところで、暖炉完備です。

半分が洋風で半分が和建築ってかいたのですが、同じ2階でも屋根の高さが違うので、接合部分には段差がありました。

和建築で公開されていたのが1階の30畳ほどの一の間と24畳程度の二の間なんすが、それぞれに炉が切ってありました。至極あたりまえのこととして和建築に暖炉をつけるわけにはいかないので、冬に集まるときはみんな火鉢であったまっていて、そんな写真が残ってるそうで。

施主さんは広い一の間を来客用、狭い(といってもかなりでかい)二の間を居間に利用してて、興味深いのは普段は和風建築の部分で生活していたのだとか。コンドル先生には悪いけど、なんだかわかるような気が。

南側には入側縁になってて、私が育った家は古かったのですがこんなような入側縁があって、ちょっとうるっときちまったというか懐かしかったですっててめえの追憶はさておき、
もっと瑣末なことを書いておくと

ボケてて恐縮なのですが男子便所なのですがムダにでかく、説明書きを読んだら和装なのでスペースが必要であった、と。剣道の袴をたくしあげてた時のことを思い出し「たしかにあれくらい必要だよな」と腑に落ち、冬にたくしあげなくて済むいまが洋装の時代でよかったな、とちょっとだけおもっちまうんすけど。

森博嗣さんの小説にでてくる桜鳴六画邸のモデルが六華邸である、とされてて、同行者も私も読んでいたので「ちょっとだけ寄ろうか」くらいのいくらか軽い気持ちで寄ったのですが、細部を見学すると予想外に興味深い建物で「よくぞ残しておいてくれたなあ」と思えるところでした。

つい建物のことばかり書いちまいましたが桑名はハマグリが有名で、しぐれ煮を買って帰りました